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パイレーツ・オブ・カリビアン?・?・?

パイレーツ・オブ・カリビアン ピンナップブックの画像  ディズニーランドのカリブの海賊を元に創った 映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』 日本のディズニーランドは1983年4月15日 オープン。高度経済成長が一段落した時代ですね。 アメリカ化されたこの空間に対して、多くの 日本人は湧いたのでしょうか。世代によって、 変わって来ると思いますが、自分は当時5歳なので、 スゴイ世界という認識があった。反米の人は 嫌がってたのかな。  よく覚えてないけれど、小学校の頃、初めて 親戚も交えてディズニーランドに行った。 確かダンボのアトラクションがオープンした 時で、みんなダンボに群がっていた。混んでいたので 比較的空いていたカリブの海賊に乗った。 はまった。親戚のKちゃんと何度も乗った。 飽きなかった。時間がある限りずっと乗っていた。 頭蓋骨の海賊がしゃべり、豪華絢爛な金貨、 恐ろしい海賊船、船長、牢屋に閉じ込められた 海賊達、そしてあの歌。全てにはまった。  時は過ぎて現在パイレーツオブカリビアン?を 観てきました。パイレーツオブカリビアンの?・? は先月観たばかりですが、すぐにはまりました。 ジョニーデップ演じるジャック・スパロウ。 このキャラクターに完膚なきまでにはまった。 コミカルな動き、勇敢さとヘタレ度が入り混じって ぐちゃぐちゃになっている。男の子っぽい感じで 大きい事をしようとするが、すぐに逃げる。 逃げてもまた懲りずに何かをしたがる。 この大役を演じたジョニーデップに感謝申し上げたい。 小さい頃のカリブの海賊のアトラクションと共に とても楽しい、楽な気分になれました。もちろん ジャック・スパロウ以外にもバルボッサやベケット卿 等々、味のあるキャラクターばかりでした。  今年の7月20日より、カリブの海賊がリニューアル されるようですね。キャプテン・ジャック・スパロウも 登場。相当混みあいそうですね。自分としては旧カリブの 海賊がなくなってしまうのが、寂しい気がしますが、 パイレーツ・オブ・カリビアンの色彩を帯びた カリブの海賊もとても楽しみです。  宮台氏のお言葉を借りればディズニーランドは 役割とマニュアルに基づけば、 誰が演者になってもいい世界だ。地元商店街的な あのおっさん、おばさんだからその店に行くのではなく、 こちら側の要求に契約通りに演じてくれる空間。 いつ行っても、演者は同じように対応してくれる。 マクドナルドのように。つまり、演者は誰でもいい、 入れ替え可能な、非常に合理的なアメリカ的な空間。 地上ではディズニーランドに戯れている我々だが、 地下のアーキテクチャーでは、ゴミ処理や汚水処理 などなど深い物流が目に見えないところに横たわっている。 そこには大変な無駄がある。  ただたとえそうであっても、自分はディズニーランド が好き。環境問題が熱くなる中、ディズニーランド的 空間に対して、合理的には首を傾げたくなる人も いるかもしれない。だけど、合理性を越えて時には 楽しみたいし、そういう空間はあって欲しい。 たまにはバカやるのもいいですよね(笑)
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考える

 「考える」1人だけで?誰かに話して? どちらにするかで、同じ「考える」でも 全く別物となる。1人だけで何かを「考える」 なら、全く論理的でなくてもよいし、人に 分からせる必要はない為、非論理的に ある考えを自己完結できる。言ってしまえば 1人で閉じこもった考えならトンデモ思想でも 全く通用する。通用すると言っても、自分1人 の中だけですが。  逆に自分の考えを他者に伝える時は論理的 でなければ伝わらないので、完結していた はずの自己思想が自分にしか通用しない 事が分かって、もどかしさや落胆した気分を 感じるかもしれない。また、時々自分の 考えが今まで誰も考えもしなかった目新しい 思想だと思い込んでいたとしても、それを他者に 提示する事でいかに自分の思想など、凡庸で ありふれたものである事に気づくだろう。  もちろん、このブログの記事もとても 凡庸なものだと思う。ブログという特性上 自己完結しがちなところは気をつけなければ いけないポイントだと思っています。 コメント等を通して、そこにコミュニケーションが ないとよりトンデモ思想になっていく気がする。 このブログもそうですが、トンデモちゃんは ネットのブログ上ではよく拝見する事ですね。 そこには他者の不在、他者とのコミュニケーション における衝突のプロセスの不在がある。  少し戻り戻って、他者に考えを提示する場合は 非論理的な考えを論理的なものに変換する必要がある。 とてもエネルギーのいる作業です。自分は不得手。 ただ、今のところはこう考えています。 個々の人はそれぞれ非論理的な何かを抱えている。 それを他者の場に提示しようとする時、論理的な ものに変える訳ですが、元々が非論理的で それこそ、その人の実存的なものが見え隠れする ように感じられる。論理的なものはエネルギー がいるし、社会生活を送る上でも必要なことですが、 論理的に見えても、時々見え隠れする非論理性を帯びた その他者に自分は魅了される事がある。 言ってしまえば論理的なものには根本は自分は興味 はないし、非常に疲れる。だけどそれでも論理的な ものは他者との媒介に必要だし、社会生活上 必要なので、興味はないけど、論理があってこそ 非論理が見えるから好きかな←(あ〜あ 言ってること訳分からないよ)  あっ今回は映画の芸術性について書く為に前口上 をしてたんですが、長すぎました。映画って、 よく、この映画何を言いたかったのか?メッセージは 何か?を読み取ろうとして観る人も多いじゃないですか。 それは自分は論理的すぎて疲れる。 自分のマイベスト1位、2位の「アカルイミライ」や 「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」は全く意味なんて 自分は汲み取らず、ただただ何故だか分からないけど この音楽が自分の実存に響くと同じように 何故だか分からないけどこの映画が自分の実存に響く というのが自分の映画体験でよくある。何故 いいの?という質問は従って答えられない。  要するに今回は論理も大事だけど 非論理も大事と言いたかったんですが、 全くまとまっていないし、このブログ トンデモブログじゃねぇ!?(笑) 
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Author:まさみ
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