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デスノート

DEATH NOTE デスノートの画像  映画版『デスノート』前編・後編共に遅まきながら 観ました。これを観て、フランス革命の後に起きた 恐怖政治を行ったロベスピエールを月(ライト) と重ね合わせる人は少なくないかもしれない。 いや、ライトのようなタイプは多数想像しうる。  ご存知の通り、フランス革命を経て、今の 言葉で言えば、民主主義的で自由な社会を 創ろうとしたロベスピエールであるが、 そこに逆説が生まれる。民主主義や 自由を否定するものを次々にギロチンや銃殺 によって粛清していく。自由と民主主義 を実現するにはそれと思想を異にする 又はただ邪魔だから、気に入らないという 理由で粛清されていく。今もどこかの国 で当てはまるとか当てはまらないとか。 この手の話は古くて新しい話。ロベスピエール のこの粛清は恐怖政治と呼ばれ、テロの語源に もなっている。  さて、フランスはこの恐怖政治の歴史的反省を経て、 民主主義と独裁政治は紙一重ということを 常に再帰的に思考している。統治権力は巨大 であるので、暴走すると法律的に罪の無い人でも まさに恣意的に殺害する事ができるし、それは 歴史が物語っているし、現在も起きている。 統治権力はかくの如し、恐るべきもので、 憲法によって統治権力を縛り、暴走を止める。 その統治権力に命令して作らせたのが法律。 そういう思想の上に立つので、刑法といっても 市民に対する罰則という側面よりも、 国家権力が恣意的に人を罰する事の無いように、 刑事訴訟法その他細かい規定が設けられている。 話がずれすぎたので、要は冤罪の氾濫防止の為。 市民の一人の犯罪よりも国家権力が恣意的に 押し付ける冤罪が遥かに恐ろしいという考え方 が根本にある。  司法試験にも既に受かっている頭脳明晰な ライト君ですが、こういった簡単な法思想史 だけでも勉強していなかったのでしょうか? 推定無罪の原則を忘れたのでしょうか? 現段階で容疑者というだけでデスノートに 名前を書く。それもワイドショーのような 番組で報道された容疑者を見てデスノートに 名前を書く。これって恐るべき冤罪の横行 ではないですか。全く証拠も無くただただ マスコミやインターネットの情報を妄信して 名前を書く。適正な証拠は?検察官は適正な 手続きを行って容疑者を逮捕したのだろうか? そういうのを吹っ飛ばしたのなら、冤罪だらけ なのはライト君も分かっているはずなのだが。 ちょっとマスコミとインターネット情報を 鵜呑みにしすぎですね。ライト君は。  さらに、ライト君はデスノートによって 彼が悪人と感じる人を次々に粛清していく。 さらに彼の思想に反する邪魔なものまでも 粛清していく。おっとライト君は統治権力 に匹敵するほどの権力者になりましたね。 一人の人間の主観で善人、悪人を決定し、 殺害するか否か決める、そこには民主制の 歴史の蓄積も、試行錯誤の蓄積もない。 まさに、恐怖政治の始まりです。  巨大な権力を持った者(ライト君)には 憲法が必要。この映画の場合、憲法的な ライト君に縛りをかけてくれそうな存在 であったのが、ライト君の父親。 魅力的な父親でしたが、時は 既に遅しでした。  エルの良さは言うまでもありませんが、 ライト君のタイプのような存在は結構います。 だからこそ、エル君とライト君との 交流または議論がもっとなされていたらと 思うと残念でなりません。 あっこれは、単なる映画でしたね(笑) 
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太陽

太陽の画像  ロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督映画 『太陽』終戦前後の数週間の昭和天皇を描いた 希有な作品。2007年という今でさえ、昭和 天皇を題材に扱う作品はある種タブー視されて いるのは驚くべき事で、日本映画として天皇を 題材にした作品、特に人間としての天皇を 描くのはまだまだ難しいのかもしれない。 過激な天皇主義者は現在も存在する。  自分はもう天皇に対しては非常に無関心な 1977年生まれ。ただ、1989年1月 7日に昭和天皇が崩御された時の事は よく覚えている。自分は小学校6年で風邪をひいて 病院に行った時、おばあさん方が今の人たちは 昭和天皇がいかにすごかったのか?わかって いないと語っていたのを覚えており、自分は 正直何もわからないだけであったが、なんとなく 今でも覚えている。  事実関係の確認は難しいが、少なくとも映画の 中では、昭和天皇は自分の体は君達と何も変わらない と侍従達におどけて語る。戦後世代の我々も 普通に天皇は人間に決まっていると思っている。 朝廷は日本史の中で何度も統治権力に利用されて 来た。天皇の人間宣言もアメリカの学者達が日本を 研究した結果、戦争責任を追及して、死刑にする ような事があった場合、イエス・キリストのように 日本国民の中で神格化し、再びアメリカに復讐 することのないよう、死刑の処置はせずに 人間宣言をさせたという戦略だったという説が 有力とされている。  しかし、事実の歴史でも天皇は処刑されるかも しれなかったが、自らマッカーサーのもとに 趣いたのは並大抵の人ではできないと思う。 当たり前にただの人間だが、現在未だに 言葉では表せない何かを持っている天皇という システムには学ぶべき点が多いかもしれない。  気をつけなければいけないと自分が思うのは 現憲法の一条〜八条まで天皇に関する規定がある。 何度も述べているが、憲法は国民が守るべき ものではなく、統治権力が守るべきもの。 言わば統治権力を縛るもの。 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合 の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国 民の総意に基く。  この一条にあるとおり憲法では天皇は象徴であり、 統治権力ではないので、天皇は憲法を守る対象 ではない。ということは天皇に対する憲法の規定は 国民が統治権力に命令し、統治権力が天皇に お願いしているのが一条を含めた天皇に関する 規定ということになる。すなわち天皇に 憲法を守る義務はないので、統治権力に お願いされても天皇自身が天皇制をやめると おっしゃられればそれで終わってしまうような 理屈になっている。天皇家は教養が深い人が 多いので、憲法の規定を逆手に取り、将来 また、統治権力による天皇利用が 行われない事を願う。  相当話がずれてしまったが、マッカーサーと 昭和天皇の会見は男の約束で何を話したのか 秘密であるという趣旨の事をおっしゃられて いた為、実際どうであったかは分からないが、 映画の中ではマッカーサーは人間として 天皇のすごさに感染していた気がする。 とてもお茶目に映画の中では描かれており、 また、今で言うと生物学オタクに見える佇まいで それまで戦争に対して苦悩していた昭和天皇が 生物の話になると非常に楽しそうにしゃべる姿は 印象的であった。帝王学、欧州留学、そして生物学 まで学んだ昭和天皇とマッカーサーの会見、 もともと戦争責任を追及しない戦略がアメリカ側 で出ていたとされるが、自ら進んで人間宣言 をなさるような昭和天皇に圧倒的な印象を マッカーサーは受けたのかもしれない。  ラストシーン、皇后に人間宣言をしたと告げる 昭和天皇に対し、『あっそう』と軽く返される 昭和天皇。昭和天皇自身も映画の中で何度も何度も いろんな『あっそう』があるので、それを楽しむのも この映画の醍醐味かもしれない。 そして、何より、終戦前後議論は沢山あると思うが、 ただただ、昭和天皇のリアルな1日。我々が 通常生活している1日、1週間と変わらぬ視点で ただただ眺めて頂けるとより楽しめると感じた 映画でした。
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Author:まさみ
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