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宮台思想塾

 4月23日午後3時〜午後6時まで、三省堂神保町本店で、公開 宮台思想塾を拝聴してきました。この思想塾は首都大学東京の夜間の 宮台ゼミが開けなくなり、幅広い年齢層、肩書きにとらわれない 年齢層の人達に対して、ゼミを開けなくなったところ、宮台氏が 設立したものだ。宮台氏のターゲット層は社会学的にかなりのレベル の高いものを要求しており、自分などは参加するのも憚れるので、 せめて、宮台氏の出してきた予習や参考映画ぐらいは観て参加しました。  ゲストにフリーライターで有名な藤井誠二氏、社会学者の浅野智彦氏 を迎え、宮台ゼミからは鈴木弘輝氏、堀内進之介氏の若者をテーマに した公開議論を観る事ができた。観客は約90名。9割以上が男性。 年齢は幅広かったが、首都大学東京の学生や他大学の学生など、 学生が多い印象であった。たまたま団塊の世代批判をやっていたので、 あくまでたまたまというところが重要、団塊の世代らしきおっちゃんの 様子を自分は観たりしていた。  普段のゼミより、公開なので、分かりやすく話してくれたので、 表層的な部分は理解できましたが、理論の部分になると全く部外者的な 存在になりますね、自分は。ハーバマス、ルーマン、レッシグ辺りは 必須になってきてしまう><ただ改めてよく分かったのは、いくら 理論的に理解できようとも、理論は仮説に過ぎず、妄想といっても おかしくないこと。一歩、はずれれば病的となる。常に自分の立ち位置は 学問上においては仮説に過ぎないと意識し続けないと、まずいことに なる。全て仮説なので、そうとも言えますとなんでも自分の意見を はっきりさせないと、議論ができなくなる。仮説と分かりつつ、自分の 立場をはっきりさせないと全く実りのない議論となる。  素人の自分ですが、完全に仮説と思わず、理論的には正しいのだが、 妄想走っちゃっている学者沢山見受けます。
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野党とは?

 冷戦崩壊以前にはただ反対を唱えるだけの野党の社会党・共産党にも 吉田茂の戦略により、意味のある野党であった。もっとも冷戦後半には マルクス・レーニン主義的なものは勢いよく衰退していたのだが、 それでも、もし、アメリカが無理難題を押し付けようものなら、 我々は社会党・共産党という野党を持っておるので、革命を起こすぞ! と外交カードに使えるという一面があった。  今や冷戦も終わって久しくなり、後期近代社会において、与党、 野党が示すモデルは合理的には二つしかないと言われている。 小泉・竹中路線の新自由主義(ネオリベ)、優勝劣敗、弱者切捨て 路線か再配分政策これしかない。再配分政策は社会・共産党よりも 自民党の方がお手の物で、小泉政権になるまでは続いていたのだが、 再配分政策は腐敗しやすく、それを壊すにはある種必然的に ネオリベ路線にならざるをえなかったともいえる。1990年代までの 政治不信といったら、天下りをはじめ、そういう談合主義的な ものでしたからね。  現段階で小泉政権がネオリベ路線を取っている以上、民主党の 選択肢は再配分政策しかないとなる。もちろん大きなパッケージの 話ですが。国内政策としてはネオリベVS再配分政策。  外交に関しては小泉政権はアメリカ一辺倒外交なので、それに 対し、多国間外交をやる選択肢がある。  本当にイメージ戦略としては簡単で、現時点では再配分政策、 多国間外交をやると民主党は示せばよいだけの話。  しかし、問題はその先にある。自民党の中にはネオリベ路線、 アメリカ追従型路線だけではない人も多数いる。そういう政治家が ポスト小泉になった場合。またまた民主党は対抗軸としての イメージを国民に示せなくなる。かつてネオリベとも受け取れる 小沢一郎の政策が小泉自民党政権に先取りされたように。 結局自民党の中で全て完結しちゃってることがある種問題で、 完結できるのなら、特に野党はいらなくなる。  だが、政権交代しないと官僚との癒着・腐敗構造は絶対に 払拭できないですからね。適度な政権交代が欲しいですね。 歯止めが利かなくなったら、民主党の再配分政策へ。 それが腐敗したら、また今度はネオリベ的な自民党へのような ダイナミズムが必要だと思っています。  以上、雑記でした。

アニマトリックス

アニマトリックス 特別版の画像  昨日マトリックス・リローデットがテレビで流れていたのに 便乗して随分前に観たアニメ版マトリックス『アニマトリックス』 に触れたいと思う。個人的にはアニマトリックスが自分の心証に 触れる。アニメ版では様々な人のマトリックス(仮想現実)に対する 実存が垣間見られる。この世界はプログラムに基づいた仮想現実 にしか過ぎないという事実を知った上で、それでもマトリックスの 世界から現実の世界へ抜け出さず、マトリックスの世界に踏み止まる 人々の姿は自分は痛く切ない感動を覚える。  特に安っいジュースですけど、メーカーはいいませんが、 オレンジジュースであろうが、グレープジュースであろうが、 アップルジュースであろうが、実は成分事態は変らず、 違いは、オレンジの臭いであったり、グレープの臭いであったり、 アップルの臭いであったり、ジュースの色かつ缶ジュースの オレンジだったらオレンジらしい視覚的な色に惑わされて 我々はこれをオレンジジュースだと思い込んでしまう。 臭覚・視覚に訴えかけられるとその成分がどうであろうと、 そう思えてしまうのがある種人間のすごさだとは思っています。 そこに添加物の危険があるか、ないかの議論は置いておいて・・・  自分も結構会った事ありますが、子供の頃、カーテンや タンスやドアでもいい、そういうものを手を触れずに、自由に動かせた という人がいるんですね。自分はそれは嘘だとは思ってはいないんです。 まだ体験、知識が乏しい子供時代には物体の認識を体験、知識に よってしておらず、世界を世界としてそのまま見ていたと思う からです。だが、世界ではなく、社会で生きていく為には人々から 教えられた社会の知識、体験を加工していき、社会的にこの世の中を 見ていくようになる。だが時々、そういう社会的な制約がとっぱらわれる 時、再びカオスに満ち満ちた世界が訪れる事はあります。  たとえ、仮想であったとしても、あながちその人にとって、 満ち足りた人生ならば否定すべくもないというのが自分の思いです。 どれが、仮想でどれが現実かなんて分かりませんが、もちろん 現実的な認識と言われているものと仮想的な認識、このバランス は大事だと思っています。仮想が現実に役立ち、現実が仮想に役立つ 事が多いと自分は思っています。

激突

激突! スペシャル・エディションの画像  スティーブン・スピルバーグの初監督作品「激突」平凡なセールス マン、デヴィッドと運転手の顔の見えぬ大型タンクローリー車との カーチェイスの映画。言ってしまえば描写的に見れば、これだけの 映画だ。追い越し、追い返され、そういうシーンがサスペンスを 駆り立てる撮影手法で延々と続く。  ここに人間ドラマを見て取る事もできる。大型タンクローリーの 運転手は一度デヴィッドが追い越した事にぶち切れて、必要以上に デヴィットに対し、大型タンクローリーですさまじいスピードで 何度も殺そうとする。単にぶちきれやすい奴なのか?それとも デヴィッドに恨みを持つ奴なのか?そう読んでも楽しめるかも しれない。  だが、ラストシーン、デヴィッドはどうにか自分の車を激突 させ、大型タンクローリーを崖から突き落とした。そして、 黄昏の中、たたずむデヴィット。何故平凡に生きてきたデヴィットだけに このような事態が襲ったのか?よりも、ここで、何故か人間ドラマよりも 世界って確かにこういうものかもしれない・・・っと映画を振り返って ただただ思うばかりである。全ては黄昏のシーンが素晴らしくこの 映画を引きだたしている。傑作です。

都市

都市  1953年度国際幻想文学賞受賞、小説『都市』SF小説読んだ のは久々かつ傑作に巡り合えました。人間という種族は人間の 未成熟な文明、人間という種族のどこまでいっても間違いを 繰り返す、思想?哲学?それに諦念したのか?ほとんど全ての 人類が木星へ移住し、人間の形さらには心までも変化し、 アメーバーのような状態になってしまう。そう、高度の文明が 発達した都市では、都市がいらなくなっていた。人間は都市を離れ、 田舎の方へ、孤立して暮らすようになっていた。孤立したとはいえ、 ボタン1つ押せば、人と会話はできるのだが、何かそこに違和感を 覚えていたのか?木星に経つずっと以前に人間は犬族に高度技術を 駆使し、しゃべることができるようにし、犬族は人間よりもあらゆる 面で優れていた。殺戮など絶対しない犬族に多くの人間は地球を 明け渡した。  犬族の中では人間という種族は神話として語られる。 そんなのいるはずはないという神話説が有力で、人間が昔、 人間が現れる前、何か他の知的種族がいたのかもしれないという 寓話を面白おかしく、子供に話すような感覚だ。  最後の章で犬族が住む地球は蟻が創る建物によって地球が 多い尽くされようとした。だが、殺戮という概念が思い浮かばない 犬族はどこか他の大地か、この話では霊魂と呼んでいた世界に行く しかないと犬族は悩む。だが、人間がまだ地球にいた何万年も 昔に製造したロボット「ジェンキンズ」は語る。その解決方法は 人間がよく知っている。だが、ジェンキンズは、ただ単に殺せば いいだけだということを教えなかった。人間と同じ過ちを繰り返し たくはなかったからと。  あくまでSFですが、切ないですね。人間という存在も。 数万年経てば、人間はこの話の通り、いたかもしれない神話になる かもしれない。これは自分自身にも当てはまり、自分という存在も 数万年も経てば、語られる事もなく、いないものに等しくなる。 子供が子供だった頃、宇宙の果てはどうなっているのか?時間は いつ始まったのか?等々誰しも考えたものだ。 たまにそんな子供心出して、あ〜数万年後には自分の存在なんて なきに等しいのならば、なんだか楽になって、今を生きるを 大切にしたいななんて思います。ちょっと子供心丸出しの コラムでした。
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Author:まさみ
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パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
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