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誰がために

誰がためにの画像  2005年毎日映画コンクール 浅野忠信 男優主演賞受賞作品 映画『誰がために』尊敬する俳優の1人浅野忠信という作品という 事もあって鑑賞しました。ジョゼと虎と魚たちの池脇千鶴も出てるしね。 主人公浅野忠信が演じる民郎は元報道カメラマン。パレスチナや世界の 方々に赴きまさに映画『地雷を踏んだらさようなら』の浅野を思いださ せる元報道カメラマン。私的な事ですが、地雷を踏んだらさようならの サントラは大好きで携帯で目覚まし時計に使っていた事もあるぐらい です。さすがに朝から地雷を踏んだらさようなら気分になるのも あれなので、やめましたが・・・(笑)  民郎は今まで観てそしてカメラに人々が死ぬ姿、苦悩する姿を。 民郎はそれに耐えられず、親父が死んだ事もあって、地元商店街的な 写真館で働いている。幼馴染のマリ(池脇千鶴)の美大で会った 友達亜弥子を民郎の写真館に連れてくる。辛い過去を背負った 亜弥子は民郎に魅かれ、民郎も亜弥子にすぐに魅かれ、付き合い 妊娠し、結婚までひとっとびであった。いつも側にいたマリは 幼い頃から民郎の事が片思いで好きで、この状況に微妙な立場 であった。ジョゼと虎と魚たちを観た池脇千鶴とどうしても重なって 見てしまい、マリの複雑な感情に切なさを感じる。  妊娠中、未成年の少年に理由なき犯罪により不条理にも 亜矢子は殺害されてしまう。映画『刑法第39条』にも 書いた通り、未成年なので、少年院に入った後、無罪放免です。 1年経った後に淡々と実生活に戻っている。少年法というのは 近代社会においての理解では少年を特別扱い優遇措置をとって いるわけではなく、あくまで少年は未成熟で自己決定、自己責任能力 なしとみなしているからだ。前提として近代社会において少年は 近代社会の一員になる半人前とみなしている。みなしているということは これもフィクションですが・・・民主主義もフィクションですが、 日本国もこれを採用していますが故。 簡単に言えばまだ人になっていないと言っちゃえば分かりやすい でしょうか?語弊があると怖いですが・・・ ですから、少年が自己決定、自己責任能力を早めに獲得することが できるならば、刑法改正により刑事訴訟能力の年齢引き下げを することもできるわけだ。いわゆる重罰化。昨今、少年犯罪 多いと言われていますが、決して多くない。昭和30年代なんか もっと多く残酷だったんだから・・・今の団塊の世代に当たりますね。 あまりにもマスコミ報道が多いものだから多く感じてしまっている だけ。体感不安っというものですね。 単に体感不安なので、重罰化をするならその前に自己決定、自己責任 能力を高める教育が最優先だろうと思うのだが・・・  話がそれた。民郎はパレスチナ紛争の中で理由ある犯罪によって 殺害された人々を数多く見てきた存在だ。理由あるといっても、 透明な見える理由。だが、民郎は今回は自分の妻を不透明な理由で 殺害された。民郎には理由なき犯行だと思うしかない。特に民郎には そう感じる。自分個人的には理由は不透明だが、理由はあると 思っている。民郎は憤慨し、同じくその出所した少年を殺そうと するが、必死でマリがそれを止める。民郎は亜弥子の気持ちも 私の気持ちも全然分かっていないと。民郎が少年を殺せば 民郎自身も同じ事を犯す事になると。亜弥子はそれを喜ぶのか? と必死の説得。説得のせいかどうだか、やめると誓うが、 ラストでは社会復帰した少年をナイフで刺そうとするが、失敗し、 首を絞めて殺そうとするが、寸前のところで偶然か、マリの 説得が無意識に効いたのか、やめる。。  居酒屋でマリ達が盛り上がっている風景を車から眺める 民郎のシーンでこの映画は幕を閉じる。切ないです。民郎は 一生マリの気持ちが分からないかと思うと。。
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A2

A2の画像  映画『A』の続編の森達也監督の『A2』これは1995年3月の 地下鉄サリン事件を起こしたオウムのその後を追ったドキュメンタリー 映画である。  1999年10月、群馬県藤岡市に倒産した印刷工場とその 社長のかつての自宅に多数のオウム信者が移住してきた。お決まりの ようによくテレビで報道されていたようなオウム退去運動が住民の 中で起こる。地元住民は結束し、自ら監視小屋なるものをつくり オウムの行動を監視した。するっていうとどうだい!? 今まで隣の人は何する者ぞ?となってきた近所関係が代わる代わる 監視する中で、地元の共同体が空洞化していたのがコミュニケーション を通じて復権してきた。オウムが移住してきたお陰で再帰的に共同体 ができるというのは皮肉な話とも言える。「再帰的近代」はイギリスの 社会学者のアンソニー・ギデンズの重要なキーワードだ。 かつてあった共同体は元のまま復活する事はできないが、新しい 形でまさに再帰的にコミュニティを立ち上げるというものだ。  さらには地元のコミュニケーションだけではなく、自然にオウム信者 とも徐々にコミュニケーションをとるようになり、親密になっていく。 そこにあるのはオウム信者として彼らを見るのではなく、一個人として 人を無意識的に見ており、事実性の現われだといえる。 映画『息子のまなざし』にあったような、殺人者を殺したいのだが、 共に過ごすうちに殺せなくなるという事実性だ。殺せない理由はある わけではないのだが、生活空間を共有するとそのような事実性が 現存する。この映画では、最後にオウム信者が退去を余儀なく されるようになった際、地元住民からまた戻っておいで。 寂しくなるね〜。っという感想が多数でてきて理屈より事実性の 力に驚いた。マスコミでは報道されないような内容なので、 是非観てもらいたい作品であります。森達也氏はA3をいつか 創って見たいとおっしゃっておられるので、楽しみです。

ネットの恣意性

 グーグルに代表される検索エンジン。あのアーキテクチャーは サイトのヒット数で上位にサイトが表示されるわけではなく、 グーグル側の恣意的なものによって決めているそうだ。 狂牛病で検索したとしてもヒット数が高いものがトップで 表示されるかといえば、その可能性もあるが、そうでもない 場合もある。つまり、ネットを構築している建築者達にしか、 このブログもmixiに代表されるようなSNSも検索エンジンも 実際にどう構築しているかは専門建築者達自身にしか分からず、 敢えて言えば、彼らなしにはアーキテクチャーを理解し得ない 我々一般ネットユーザーは、彼らにシステムを委ねる他ない。 つまり、ネット構築者に我々はいかようにも支配されている ということ。  去年9月の衆議院総選挙に見られた、郵政民営化批判を行う ブログ等に荒らしともとれる大量の批判書き込みが寄せられ、 ブログを閉鎖せざるを得ない状況もあったようだ。 この時、その大量の書き込みをしたのは誰かは分からない。 自民党がアルバイトを雇って書き込みさせたという説も あるが、これは風説の流布(笑)に当たるので、置いておいて、 本当にネット上に存在するデータベースは匿名性に満ち溢れている。 こうやって、俺(ジョン)がブログを書いていたとしても、 本当にジョンが書いているのかは完全に証明するのは難しい。 SNSでのコミュニケーションも一体こいつは存在するのか? と思う事しばしばである。撹乱されるサイバーネット界において、 ゲームを創っているネット構築者のゲームの上で踊らされて いるともいえかねない。  匿名がネットの強みであったはずが、2ちゃんねるバッシングで 徐々に個々にHNや一人一人がブログを持つことである程度誰で あるか?は固定したかに見えるが、これもネット構築者の恣意的関与 によって瓦解しかねない。ネットのシステムが高度化すればする程 我々が土俵の上に上げてもらえないので、どのようなアーキテクチャー か情報提供して欲しいのだが、そこはネット建築者には 難しいのだろうか。建物作る建築家にはそのような公共財という 考えを持っていて、一般人には技術を分かるように教えることは できないが、評判であの建築家はいい!とまさに共同体的な作法で 教えてくれるそうだ。ヒューザー小嶋社長は商人なので、 儲かる為にはなんだってするのは会社目的からしても合理的と いえるが、建築家としてそこで歯止めをかける習慣はまだまだ 残っているようで安堵の思いだ。姉歯建築士さんは遅咲きの 一級建築士だったので、甘ちゃんだったのかもしれない。 腕は良かったのかもしれないが。建築家は40で小僧、50で ようやく一人前というからそこで、プライドと倫理を持つ。  技術が高度化すればするほど、見えにくいものが増える一方で 不安も増大するが、我々が、朝起き、水道局の人を信頼しているから 顔を洗え、水を飲め、ガス局の人を信頼しているから、湯も沸かせ、 電車の運転士もしくは乗客を信頼しているからこそ、電車にも 乗れる。この当たり前のように見える一連の行動に関しても 結構人は信頼し合っているんですよ。もちろん電車に乗るにしても 変な奴がいて、死の危険があるかもしれない。それは危険をゼロに することはできないので、相当数大丈夫だと思う中で我々は 生活を生きている。信頼しててもそれは事故や又は故意的なものに よってリスクを負うこともあるかもしれない。 それでも危険と隣り合わせなのが生き物のあり方でしょう。 あまり右往左往せず、リスクは少なくしたいが、ゼロではないので、 その時はその時ぐらいのタフさはもっていて欲しいなと思うわけです。  ネットにおいてもリスクは一杯ですが、検索エンジンなどに 頼らずに、人と人とのコミュニケーションで培ってきたサイトに アクセスするなどして、リスクをできるだけ少なくするよう努力 するが、リスクはゼロではないことしっかり受け止めて、ネット という空間でもヘタレずに、タフにやっていって欲しいし、 自分もやっていきたいと思っています。

ユージュアル・サスペクツ(ネタバレ注意!!)

ユージュアル・サスペクツの画像  ?????の画像  1995年度のアカデミー脚本賞、助演男優賞受賞作品『ユージュ アル・サスペクツ』サスペンス映画の中で有名かつ評判が未だに 高いですよね。この映画こそ、ネタバレした瞬間、楽しみが半減いや、 全減しかねない。今回もう一度観ましたが、それでも面白かった^^ 初めて観る方は以下の内容は読まないで下さい。予備知識なしだから こそ、目から鱗が落ちるのですから。  とにかく大黒幕『カイザー・ソゼ』とは誰か?存在するのか? これに目を奪われる。誰もが恐れる『カイザー・ソゼ』 27人の船大爆発の事件で生き残った大ヤケドを負った1人と 無傷で身障者のロジャー・“ヴァーバル"・キント。大ヤケドを負った 男は意識朦朧の中、カイザー・ソゼを恐れている。 ヴァーバルも恐れていた。そして、キートンは船の大爆発事件で 死んだとヴァーバルは語る。刑事の尋問の中でヴァーバルは キートンとの友情を語るが、キートンは死んではいない、 彼が『カイザー・ソゼ』だと刑事に聞かされ、ヴァーバルは 気弱なので、うろたえ、泣く。だが、尋問後、彼は外に出て ラスト直後足に障害があったと思いきや、普通に歩き出し、 車に乗る。ヴァーバルが『カイザー・ソゼ』であった。 何故この映画をこのコラムで書くのかというと、意味の差異から の目から鱗体験が重要と考えているからだ。 今までそうである!という意味づけをしていたものが、 違うと分かった時、目から鱗体験という大変強度なものが 得られる。言語というものを習得してしまった以上意味にとらわれがち だが、意味の差異がこの目から鱗体験という非常に濃密な体験が 得られる。  ユージュアル・サスペクツを挙げた、ついでといってはなんですが、 邦画『殺しの烙印』は殺し屋としてナンバー1は誰か???っと 誰もがナンバー1になりたいし、誰がナンバー1か分からない。 とにかく、ナンバー1は誰か?と問い続ける映画で無意味な映画 なんですが、これもまた無意味な濃密な体験が得られる。 意味の差異からの目から鱗体験、無意味さの濃密体験。 どちらも心地がよいものだと思っています。

地震

 耐震偽造問題はある種起こるべき起こったとも言えている。 談合をする事によって零細企業が喰ってく為には、談合をなくして しまうと会社が倒産してしまうため、腐敗しすぎなければ 先日述べたように大事なものだと感じているんです。 談合がなくなれば、市場原理の淘汰にさらされ、零細企業はますます 偽造なんて当たり前のようにしますよ。  地震に対する建物対策として大きく分けて耐震と免震がある。 免震建物は六本木ヒルズも採用しており、こちらの方が震度7以上 にも耐えられ、コストも安いといわれている。だが、企業目的で 高く値段を設定しているが。さらに専門家によると今回の姉歯建築士 が建てたマンションも今からでも免震構造にできるというじゃない ですか。だったらマンション改装なんてしなくてもいいのに。 これはまだまだ耐震で喰ってる建設業界があるのだから、敢えて 免震にしないのかなあ。耐震は建物の壁や柱や梁の強度を高めるもの。 しかし、地震が起きてしまえば、地震による土壌の揺れと逆に建物が 土壌に与える力で破損しかねないと言われている。免震なら建物自体 が揺れる構造なのだから、土壌と建物の摩擦が起きないため、 倒壊しないと言われているようです。  しかし、免震でも地盤沈下が起こればそりゃ倒壊する。 耐震はもちろん。どう防震しようともどの建物が壊れて、壊れないかは 断言できないということ。そう、考えるとあまりにも耐震・免震に 拘るのもどうかと思ってくる。もちろん免震構造の方が助かる人が 増えるであろうからそちらの方がいいとは思っています。 免震のすごいところは今住んでいるあなたの家の建物そのままで 工事ができるということですね。 姉歯の建築士としてのプライドと倫理の無さはちょっと・・・ って感じですが、あの安いマンション買った被害者?? 安いものには裏がある。その辺の免疫もつけておかなくちゃね。 大体安いアパートなんかに住むと色々あるでしょう。 俺の場合は窓開けたらすぐそこに墓場がありました。 見学に行ったときは窓開けなかったもので。幸い幽霊さんとは 会えませんでしたが・・(笑)

ハロー(飼い猫)帰還

 今日14日深夜1時近くに電話があり、我が愛猫ハローを捕獲した との報告があり、早速妻とでかけてみたら見事にハローでした! 1月7日失踪時に自由を求めて謳歌して、その日に事故で死んで しまっていても、それはハローにとってよいことだと人間側の勝手な 考えていたのですが、帰ってくるとやはり嬉しいですね。 1ヵ月と6日ぶりの帰還ですが、我が家に帰ってくると甘えモード になってて前と変わらず、相変わらずのハロー。外に出たい雰囲気も 見せず、正直外飼いがハローのためによいのか分からなくなってきた。 自分達が家猫にしたいというエゴもあるのですが。 とにかく捕獲していただいた方はもちろん、動物愛護センターの方々 、ネットで情報提供してくれた方々、わざわざ電話をくれた友人、 よくこのコラムをみてくれてるハルさん、ビラを見て話しかけてくれた 方々、数え切れないほど感謝の気持ちでいっぱいです。 今日は病院に行き、まずは妊娠しているかどうか診察してもらい、 妊娠してたら子猫の子育てしなければ。していなかったらこれも 人間側の都合なのかもしれないが、避妊手術をしたいと思います。 その後どうするかはまたよく考えたいと思います。 本当にありがとうございました。      

第三の道

 今年4月から施行される障害者自立支援法に見られるように、 新自由主義(ネオリベ)路線は着々と進みつつある。1980年代 のアメリカのレーガン、イギリスのサーチャーが行ったのが ネオリベ政策と言われている。いわゆる小さな政府にして、他は 市場原理に任せる政策。小さい政府になるので、中央集権的な 再配分制度をする必要が相対的に少なくなり、政府の財政難を 逃れられる。一方市場原理に晒された社会は経済的に強者と 弱者の格差は拡大となる。ここで、弱者とは経済的弱者はもとより、 シングルマザー、身体障害者、精神障害者等を差すとする。 弱者=必ずしも不幸だとは思っていないゆえ。  格差が拡大すれば凶悪犯罪が増え、社会は不安になり重罰化を 政府に求める。それでも不安な人々は高度監視下社会を望み、 まさに宮台氏の言う不安ベースの社会が訪れる。これが現在の アメリカ。アメリカはスウイングバックを何度もしてきた社会なので シフトチェンジはいつでもあり得るのが救いである。  一方イギリスは社会学者のアンソニー・ギデンスの主張している 第三の道を目指している。行き過ぎの社会主義的中央集権的な 再配分政策でもなく、ネオリベラルリズム(新自由主義)的な 小さな政府によって弱者への補助金等を切り捨てる政策でもなく、 新たな道。新たなといっても何十年も前にヨーロッパ(一部除く) はこの方向に舵を切っているが、必ずしも現在うまくいっていない部分も あり、試行錯誤の段階であるが、アメリカのようにネオコンまで 行きつかず、あくまで信頼ベースによる社会を望んでいる。 いわゆるコーポラティズムによるコミュニケーションによって 小さな単位で私的自治の原則によって社会を動かしていくスタイル。 また、完全に中央集権的な再配分制度を否定せず、弱者にはある程度は 手当てしていく。無料で教育が受けられる教育チケットの配布等もある。 結果の平等ではなく、いわゆる機会の平等ですね。  日本ではネオリベと言いつつも中央集権的な再配分制度は依然として 残っている。これは北海道、沖縄で自民党が大敗したことに見られる ように、再配分制度の必要性は都市部以外で強く感じているようだ。 都市部ではフリーターでも仕事があり、どうにかなるが、去年9月の 総選挙のに見られるように若い世代は危機意識を感じておらず、 初めて選挙に行ったギャル系が自民党に大量投票しただけで、 自民圧勝になっただけであり、全国的に得票率で見ると、 自民党と民主党ではあまり大差がないのが象徴的である。 逆を言えば今の小選挙区制度の元ではいつでも政権交代が可能という こと。ただこの選挙制度を変える動きも出てるので、ちと心配。 さて、弱者への補助のお金をどうするかですよね。 これは日本人の金持ちにはない意識が必要。ヨーロッパの貴族に 見られる蕩尽を美徳とするもの。あくまで無駄遣いをするのだが、 イギリスにあるゆりかごから墓場までという言葉もあるように、 貴族は遊びにも無駄遣いするが、弱者への寄付もリスペクトされる ために大金をはたいてする。日本の金持ちはその意識が少ない。 っというかまだどうしていいのか分からないのだろう。 会社の価値を高めるために寄付し、しかもリスペクトされるので、 後々になって、会社の目的さらなる利益につながるのだから、あるいは 人の場合その人がリスペクトされるのだから寄付すれば よいのにと思うのだが。貧乏人の戯言かな・・・・ヨーロッパの ようなコーポラティズム、分かりやすく言えば腐敗しやすいが 談合主義の利点も再考察せねばならない。値段は高いかも知れないが、 かつてあちこちにあった地元商店街的なコミュニケーションに基づく ものが日本ではコーポラティズムに当たる。お互いの店が支えあって いるんですね。コミュニケーションによってただでもらったりとか。 概論めいたものですみませんが、今後日本社会がどう舵を取るか まずは概略を書いてみました。乱文・悪筆失礼。

悩みと気分

 気分はころころ変わるもので、気分障害という言葉も創造された ようにころころ変わる事自体で悩む場合もあるが、基本的な スタンスとして悩みと気分は自分は分けて考えています。 気分的にもう俺の人生もうだめだ!と気分的になっている人に 対し、色々カウンセリングまがいみたいな事をやるよりも、 お前の人生だめなのは分かったけど、とりあえず、焼肉でも 喰いに行かない?っと気分転換させた方が効果的だ。 焼肉喰っている間に、人生もうだめだ!っとなってたの 忘れてたりして・・・(笑)  気分はコントロールするのはできないので、そこは不自由さを 感じるかもしれない。でも気分はなるままに任せるしかない。 だけど皆さんがよく言う気分転換すると本当にコントロール しているつもりじゃないが前の気分など忘れている事が多い。 心、コロコロか。この気分だけに注目して右往左往にするのは すごくもったいない。コントロールできない気分であるが、 確実にぽんぽん変わっていく。ただ厳密に言えば薬等によって、 人為的に気分は変える事はできる。だが、それも自然と 別のサイクルで気分は回っていく。  気分的な悩みが増えていると感じる昨今。あれこれ言葉を 発するより、焼肉屋でも行こうぜ!が有効な気がします。

公開日記について

 インターネット上の日記及びブログ。ブログは元々はあるテーマに 対して議論を深める為にアメリカでかなりの頻度で利用されてきた 経緯があり、コメント、特にトラックバック機能で議論を深めるという 機能がある。日本では未だ日記とブログの峻別がついていないのが 現状で、このブログも激論の場にはなっておらず、まだまだだと 思っています。ただブログ初心者には日記を書くことから始めたらよい と思っています。  ですが、インターネット上の公開について私的な意見で思うところ があります。自分も散々自分の日常を事細かにさらには内面まで深く 掘り下げて公開日記を書いてきた事もあるので、現在は気づく点が あります。自分の日常を日記で公開してしまうことは、本来なら ありえたはずのコミュニケーションのチャンスを失ってしまう事です。 最近どお?という普通の会話をしたくても日記で大体分かってしまい、 こちらからコミュニケーション・アプローチをわざわざかける機会が 失われてしまう。もちろん日記で全ての事を表現できるわけではない。 ただ自分がそうだったのだが、親しい人にしか語るべきことさえ 日記で書いてしまい、親しい人にしか話さないあの濃密なコミュニケ ーション機会が相対的に失われてる度合いが大きくなってる気が するのです。手間があっても実際に会って話を聞いたり、電話したり、 メールで今そこにいるただ1人の人とのコミュニケーション機会が 相対的に失われている気がするのです。  だが、mixiなんかを見ていると日記にコメントつけることで ちゃんと新しいコミュニケーションというものが生まれている。 インターネットはコミュニケーションの1つのツールに過ぎないので 公開日記の良い点・悪い点どちらもあるでしょう。 何が言いたかったのかというと、公開日記の場合親しい友人にしか 話せない事は書かない方が身近な人との生のコミュニケーションが 相対的に増えるのでいいのではないか?と思ってるだけです。 簡単に言えば身近な人を大切にして!ということなんですが。 単なる私的な意見で、御免下さいませ。

検挙有罪率99.8%

 検察が検挙した有罪率が99.8%。先日データに振り回されるなと 書いたばかりだが、この数字の裏を書いてみたいと思う。 ご存知の通り、日本の警察が優秀という訳ではなく、100%に 近い証拠が揃ってようやく逮捕に踏み切る。ドイツも検挙有罪率が 高いのだが、多くの先進各国は70%ぐらいとされている。 0.2%しか無罪にならないのなら、裁判に臨む被告人の弁護士の 心中いかに?逆に言えば0.2%で無罪を勝ち取るのは誇り高き事。 もちろん和解等は置いておいて・・・検察の側からすると冤罪の 者を起訴逮捕することは非常に恥とされる。検査界で居場所が いなくなる状態もあるようだ。  ホリエモン逮捕は特捜の経済事件担当の者達がやっており、経済事件 では報道されていないだけでよくあるようだ。刑事事件担当の特捜は 報道されやすく、みなさんもご存知の有名な汚職事件がある。 ここで、逮捕=犯罪者と扱ってしまうマスコミ報道の被害問題 が存在する。我々市民もマスコミ報道により、逮捕されたら、 イコール犯罪者だと思ってしまう。松本サリン事件の河野義行さん しかり、有名な三浦和義さんしかり、植草先生の手鏡で女子高生の スカートの中を覗いた事件もまた怪しいですよ。植草氏は反小泉 の亀井静香の顧問役のようなものをしており、警察が電車に乗って までわざわざ尾行し続けているのも怪しい。逮捕したもののたいした 証拠もなくひくにひけず、逮捕した感も否めない。三浦和義さん は名誉毀損で次々に勝訴しています。彼は先頭に立って、マスコミの 逮捕=犯罪者図式を未だに崩そうとしています。三浦氏は言う。 未だにほりえもん逮捕においてもマスコミの本質は変わってないと。 逮捕されたといってもそこから裁判が始まるわけで、被告人であって、 犯罪者と確定した訳ではない。  逮捕=犯罪者という見方にどうしてもなってしうまうのは お上は間違える事がないというお上に頼る大岡越前気質が まだまだ抜けてないのだろうか?99.8%という数字が どうしてもそちらの方向へ意識が向かうのだろうか? 検察官はもちろん自己満足だが、正義の為に逮捕するとう意識も ある一方、冤罪者を逮捕するのは非常に恥ずかしいという意識が あり、100%に近い証拠が揃わないと動かない動機付けが 働く。ですから現役検察官が語るには多くの犯罪者を逃してしまって いることは否めないと本音を語っている。つまり有罪確実でないと 検挙できない検察官のヘタレぶりも見て取れる。  これが検挙有罪率70%となればどうか?お上も間違う事も あるという意識が働き、逮捕=犯罪者図式による報道も少しは 減るのではないか?ただ市民にはリスクが伴う事になる。 100%に近い証拠がなくとも逮捕される危険性も伴う。 一方市民意識が芽生えお上が間違うはずはないという意識が 減り、市民が上で統治権力が下という意識が生まれるかもしれない。 そこには面倒くさいが、市民の社会参加が必要となる。 陪審員制度が数年後始まるらしいが、お上が絶対に正しいという 意識があると何も変わらず裁判が進行するだけとなってしまう。 この七面倒くさい市民の社会参加・憲法理解・法律理解をする 意欲があるか?となると現状では面倒くさいですよね。 熱心にやっている方々も多数見ますが。  自分は面倒くさいです。ですので、民度が低い現状では 99.8%でよいのではないかと日本人特有の楽観主義に 陥ってしまいますね。いざ、自分が当事者にならないと 動けない体質ですから。検挙有罪率99.8%でよいのか? 70%ぐらいでいいのか?議論の難しいところでありますね。 皆さんはどう思いますか?

秘伝

 秘伝の薬、秘伝の教え、秘伝の技等々・・・あるじゃないですか? ある某療法の先生が秘伝は公開したらそれは秘伝でなくなる。 自分はその時、某療法が素晴らしいと思っていたので、公にすれば いいじゃないっすか!?と質問したところ、それでは効果が全く なくなるのだ・・・っとおっしゃる。自分はその時は分からなかった。  だが、今はなんとなく分かる。 秘伝の教えは公で一般化した途端、色褪せて単なる日常的なものと なってしまう。だが、秘伝のままならば秘伝を知っている者しか 知らないため、秘伝の教えに効果がある。自分又は自分達しか 知らないという意識こそが効果をもたらすと言える。  自分もフロイトや数え切れない先生の教えをフュージョンさせて 脳の活性化法、脳の疲れをさっぱり取る方法を編み出した。 この方法は危険も伴う事もあって教えれない事もあるが、 上記に述べた秘伝にまつわる意識効果を狙っての事もあるのだ。 ここで、その方法を書いたとしてもそれは一般化してしまい、結局効果が 薄れてしまうし、そんな程度の方法知ってるよ的な空気に なるだけだし(苦笑)  っということで人それぞれ独自の秘伝をもっているはずだ。 それを簡単に秘伝を暴露するのは逆効果になるので、時には 自分だけの秘伝も大事にしていってもらいたいと思うのだ。 あくまで時にはだが・・・助け合いの方がずっと効果的なこと 多いですからね。

妖怪大戦争

妖怪大戦争 DTSスペシャル・エディション (初回限定生産)の画像  映画『妖怪大戦争』去年夏に公開された日本妖怪好きにはたま らない映画。ゲゲゲの鬼太郎の水木しげるもプロデュースに参加 しており、ありとあらゆる妖怪が出演しているので、必見ですぜ。  主人公のタダシ君は10歳になる小学生、東京で暮らしていたが、 両親の離婚により鳥取ややってくる。鳥取にある夏祭りで偶然 「世界に平和をもたらす正義の味方」麒麟送子に選ばれたタダシ。 この祭りというもつ独特の神話性・・これは大人になった今でも 不思議感覚に陥って心地が良い。実家の家の近くにもダイダラボッチ の池があり、本当にでっかい足跡の池になってて、またダイダラボッチ が現れないかとよく遊びに行ったものです。。  タダシはその後自分だけ妖怪が見えるようになり、麒麟送子として、 魔人加藤が創りだす妖怪と人間に捨てられた怨念のこもった物を フュージョンさせた新種の機械妖怪と闘う。はじめはヘタレだったが、 徐々に河童や一反木綿なんかと組み、健気さを増していく。 一反木綿なんかやる気なく、河童に鬼太郎には愛想振りまくのに・・ なんでおいらたちには協力してくれへん??っと突っ込んでて 笑ってしまった。蛇イチゴ以来役者としても好きになった宮迫さんの 演技も素晴らしく、随所に笑いもあり、よくいう文句ですが、 大人から子供まで楽しめる映画ですよ。  ラスト近くは魔人との戦争だと知らずに祭りだと勘違いした 日本全国の妖怪が無数に集まってきて祭りと称して騒ぎ出すのは 心地よい。妖怪には復讐など無縁ですがな。 この妖怪大戦争の後、タダシは映画『お引越し』でも書いたように、 大人になるための無意識の儀式になっており、大人の階段へと 駆け上がる。エンターテイメント映画としては去年ベスト1 だったかもな。

データなんて・・・

 自分は1977年生まれ。少なくともこの世代において公立の 小学校に行き、中学校に行き、高校に行くことは当然の事である と考えられた。学校共同体というものに所属していなければ、 疎外感を強く感じた。いわゆる不良も学校共同体を前提に反する 彼ら彼女らの共同体を創ってアノミー(無連帯)を防いでいた と思われる。とにかく学校制度ありき。 なんでこんな話をするかというと日本人は学校制度、企業共同体、 法律、国家、経済があたかも自然の所与と感じがちであったという 事だ。自然発生的にこのような物ができたのではなく、人為的な ものゆえに変えることができるという発想になかなか行き付かない。 学校や会社や社会や国というのが生まれた時からある自然なものと 思いがちなのは日本では未だ国家の恐ろしさを知らないが故。 ホッブスが国家の恐ろしさを説き、敢えて仮説で人間は野放しに していると戦争状態に陥る怪物ビヒモスになるので、国家という 怪物リヴァイアサンに契約して秩序を保ってもらっているという フィクションを創った。  フィクションは続くが、ロック等に連なりフランス革命等の 絶対王政を倒す動きをまさにフィクションで創った論理で 行ってきた。そこには多数の血が流れた。だが、国家の恐ろしさ を知っている彼らは革命を恐れなかった。革命後フィクションで ある民主主義は人為的なもの故に結局独裁を生むという逆説も 歴史は語っている。フィクションに過ぎないと認識しているが 故欧米では社会、国家は自然発生的なものではなく、人為的な ものであるが故に、変えうる物と当たり前のごとく見做している。 ヨーロッパでは国家概念を覆すEUが出き、アメリカでは絶えず 判例がくつがえる。ヨーロッパ諸国とアメリカは対照的とも 思えるほど違うのでそこはまたの機会に書きたいと思う。 勉強不足だからかけないのだが・・・(笑)  日本人はどうしても社会を天から降ってきたからのように所与の ものと見做し、どうしてもそれで悩んでしまいがちだ。 もちろん日本人だけじゃないのは言うまでもないが・・・ 社会はこうなっていて、これからもこのままだ・・・っと 思わず、変えられる、あるいはまた変わっていく。 自分がもしまだ終身雇用制・年功序列制という会社共同体の 制度が温存している社会に生きていたら学校共同体の延長戦上と しか思えないそんな会社共同体は息苦しくもちやしなかっただろう。 社会は人為的に変えられる。精神科医の斉藤環は全くデータを 取っていないに関わらずひきこもり問題を俎上に上げる為に、 ひきこもりは日本に100万人いると公言したところ、斉藤環の 戦略どおり、100万人という根拠のないデータで早くに問題を 俎上に載せた功績は大きい。データなんてそんなもん・・・ その人の都合の良いデータを出す取り方をすればいくらでも 捏造できます。恋愛雑誌であるような初体験のデータなんて いくらでも数値変動可能だ。そんな数字に振り回されるのは 嫌ですね。統計の取り方自体、人為的なものなので、少なくとも 数字に振り回されるのはまずやめると楽になると思う。 一番は年齢ですかね。何歳にこれこれしてなくちゃいけない!!!系 これで悩むでしょう。視聴率取るために、雑誌の購買数伸ばす為に または資格商法の為にまさに人為的なデータに振り回されたく ないですね。 っという自分も12月ですか。明日から大寒波が来るというデータを 頭に入れて覚悟してたら思ったほどではなく、覚悟してたからこそ だいじょうぶだったんだなあってデータに影響されてたりして。 なかなかデータに振り回されすぎないようにするのは難しい。 だけど参考にする程度ならしてもかまわないかもしれないです。

飼い猫ハロー

 今回もコラムではありませんが、こちらで告知して情報も沢山頂いた ので、書きたいと思います。愛猫ハローが失踪してもうすぐ一ヶ月近くに なろうとしています。ハローらしき目撃情報もあり、どうやら元気に 猫として生きているようです。猫の死体を回収する清掃課にハロー らしき猫はいないとの妻の報告です。猫の気持ちなんて分かるはずもない ですが、どうやら人と猫の時間の経過の感じ方は随分違うのではない かと推測しています。子供のように可愛がっていたハローですが、 一早く親離れしたみたいですね。俺は子離れするのに時間がかかった。 ハローは自立して危険と隣り合わせで生きている。まさに猫として。 例え事故に遭おうとも。子供に教わる事は多いですね。 なので、ハローは運良く捕獲できたら、捕獲しますが、 捕獲後、避妊手術をしてまた外に出してやろうと思います。 だけど既に子供ができているようならそれは責任もちたいと思っています。 今まで情報提供して頂いた方々本当にありがとうございました。
プロフィール

Author:まさみ
ブログはこちら一本でやっていくことにします。

パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
⊂⌒っ*-ω-)っ

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