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株主利益

 子供の頃は漠然と株で破産したり、親戚でもうかって持ち家まで 買ってしまった人もいて株はギャンブルの一分類だと思っていた。 欧米流の資本主義を貫徹させたいのなら、株主は会社の所有者。 日本では会社は経営者の物のようでもあり、従業員の物のようでも あり、株主(資本家)の物のようでもあり、日本的曖昧さがここに も現れてくる。そこに会社共同体ができ、所有者であるはずの 株主が出てくる幕が少なかった。  所有権を有したものがその所有するものを煮て食おうが焼いて食おう が勝手。株主(資本家)が会社を買収しようが、売り飛ばすのも勝手。 こんなの日本の共同体意識では許せない行為となります。 最近になって商法改正の影響もあり、規制緩和の中で、随分と 個人投資家の株主も増えましたよね。  ここで株主がある会社に投資する利益は何なのか?ここが 実は理解されていない。ギャンブル的に株をとらえているならば、 もちろん利益はお金(資本)となるでしょう。 しかし、本質は別のところにあった。 人が事故が起きる事なく電車に乗り、中毒を起こすことなく水が飲め、 故障が少ない車に乗れる。まだ独占化してしまっているが、郵便も 誤配が少なく届けてくれる。公害を出さずに運営して頂いている おかけで、気持ちよく息が吸える。 日々日常の中で株式投資した会社が上記のような価値のあることを して頂けているなら、それだけでお金(資本)を得ずしても 株主として利益を享受していることになるわけです。 まさにお金(資本)が先にではなく、本質的に企業価値を高め、 有意義な生活を送るために株主投資するというのが本質。 これぞ、まさしく民主主義の現れなんですが、そこまでいくには まだまだ時間がかかりそうですね。とにかく市民全員が投資家であり、 その中で株を買うものが株主になると考えると分かりやすいかも しれない。
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This is a pen.

 公立の小学校でも英語教育導入の話が出ているので、英語のコラム。 中学、高校と6年も英語習ってきたのに英会話全くしゃべれないと 嘆く話はよく聞きます。これは当然で、明治維新以降西欧の文物を 読解する能力が求められ、会話することよりも、読解力が求められた のがその一要因。さらに、戦後GHQの戦略ともとれる日本人が 英語を自由に話せるようになり、国際社会で再び大国に君臨する事を 恐れたアメリカが日本人に英語をしゃべれなくさせるために、あのよう な英語教育になったというのも一説だがあります。アメリカは日本人 めちゃ恐れていたみたいだし。  さて、This is a pen.今はどうか、分からないですが、自分の世代は まずこれから習う。しかし、この表現は相手に失礼に当たるようです。 定冠詞の『a』は曖昧な表現を表しているので、This is a pen.というと お前はこれがペンと知らないかも知れないが、教えてやるよ!的な ニュアンスになるそうです。This is the pen.なら定冠詞の『the』 は『a』とは対照的にスポットライトが当てられており、明確。 あなたもご存知だと思いますが、これはペンだ!と言っていて 意味不明だけど失礼には当たらない訳です。この『a』と『the』の ニュアンスの違いから勉強すると文化の違いが分かっていいのでは と思ってます。もっとも、小学校でここまでは教えなくていいとは 思いますが。後はただいま〜♪は英語では『I'm home〜♪』ですから 俺は家にいる!がただいま〜♪なんですから、文化自体が違うのが 痛感させられますよね。  余談でお笑い芸人がI'm a boy.俺は男。上の例でいくと私は男 かもしれないみたいなニュアンスになりますが・・(笑) よく文法を意味なく疑問形にさせられたじゃないですか? だからAm I a boy?っと私は男??ってお笑いで使ってるの見て めちゃ笑いました。  話がそれたので、小学生への英語教育導入ですが、まずは 日本語を学んでから文章をかけるようになってから導入した 方がいいのでは?という慎重意見もあるようですが、コミュニケーション スキルを上げる目的で導入するなら賛成です。 英会話しゃべれるうんぬんよりも、ネイティブの英語をしゃべる人は 表情からボディランゲージから全然日本の会話とは違うわけです。 日本語もいいところ沢山あるわけで、そこも残しつつ、言語は忘れて、 表情やボディランゲージ、できれば喧嘩の作法含めてコミュニケーション を子供のうちから学んでおくことは重要だと思っています。

刑法第三十九条

39-刑法第三十九条-の画像  映画『刑法第三十九条』 刑法39条 1.心神喪失者の行為は、罰しない。 2.心神耗弱者の行為は、その刑を減刑する。 この刑法39条問題に焦点を当てた映画。 粗筋はごく簡略化して述べると中学生の時、妹を性的虐待の後に15歳 の少年に殺された主人公工藤の復讐劇の物語である。15歳の少年は結局 刑法39条に当たる心神喪失の状態であるという理由から無罪放免される。 工藤は15歳の少年は元より、この刑法39条に怒りを感じていた。 無罪放免された少年は心神喪失者として扱われ、入院措置がとられた。 工藤は怒りを抑えつつ、本当に心神喪失状態が治れば、妹を殺した 罪悪感を感じ、それ相応の事をしてくれると信じて15年待った。 だが、当時15歳の少年はただただ悠々自適に生きてきた。 それに怒りを感じ、30歳となった当時の少年さらには家族を殺害。 工藤は二重人格を装い、裁判に臨む。裁判は円滑に進み、詐病で 二重人格の振りをしているだけだが、工藤の思惑通り、初公判では 無罪となる。だが、ある精神科医が精神鑑定というもののあまりの 主観性、恣意性に焦点を当て、再度の精神鑑定を試み、彼が詐病である と主観的に判定。色々あるのだが、工藤もそれをエンディングでは 認め、妹を殺した当時の少年ばかりではなく、その妻子供までも 殺したのは、この刑法39条のおかしさを社会問題にしたいからだ。 っと終わる。その後長い裁判になるだろうというナレーションとともに。  現状はどうか!?いわゆる人格障害という脳に気質のある精神病とは 言えない、簡単に言うと変な人というカテゴライズがある。 人格障害の人達が増えてきたのは社会的背景があるのだが、 人格障害と精神病の境界は判別しがたく、難しい。 同じ人間を複数の精神鑑定に見せるとそれぞれ人格障害であったり、 精神病であったり、・・その他もろもろ、適当に作った病名で それこそ、恣意的に診断が下される。 人格障害といっても、自分は特別なものではないと思っています。 自分だって変だし、みんな変な部分あるし、何か急激な事態にのみこまれ れば、心神喪失、あるいは心神耗弱には誰だってなりますよ。 そういう状況で、例えば犯罪を犯し、行為をしたと認識できれば、 罰するべきだと自分は思うし、今の主流も人格障害の場合は 刑法39条は適用しない兆候になっているようだ。 これは刑事政策の日本の対策の遅れも原因である。 被害者感情をどう処理するかが、死刑一本槍で、少し思考停止気味 なのであろうか。    ただ、「最後に十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰するなかれ」 「疑わしきは罰せず」という刑事訴訟の原則がありますが、この原則が 何故あるのか?説明して終わりたいと思います。これは単に冤罪の人を 罰する事を避けるのが優先順位ではなく、統治権力の恐ろしさを説いて いるわけです。社会より統治権力の方が恐ろしい。三井環さんという 方がいらっしゃいますが、彼は検察の不祥事を発表するインタビュー 目前に、逮捕されてもしなくてもよいような軽微な犯罪で逮捕されている。 まさしく統治権力のリヴァイアサンの力発揮です。 そんな軽微な犯罪、いつでも逮捕などできるし、逮捕などしないケース などあるのだが、検察の不祥事を恐れての逮捕だと自分は見ている。 今のライブドアの東京地検の摘発だってそうだ。何故今の時期に?? というのがある。噂でよく流れているが、マンション偽装問題に 統治権力がなんらかが関わっており、その目をそらすために、 ライブドアを摘発し、ワイドショーでは偽装問題よりライブドアという 図式で何かを隠そうとしているのではないか?と統治権力の腹を自分は 見てしまうのである。 マンション偽装問題に関しては検査は保険会社がやるということで 解決しそうな感じはしますね。

ライブドア・ショック

 ホリエモンが語るように、法律で明文化されていないものは モラルではよくないとされていても、それは違法とは 言えなくなる。法の穴が沢山あるので、外資系はそこを狙って 投資してくる。それに抗う為にはホリエモン的な方法も必要 であったと言える。ホリエモンバッシングは多いし、自分も 彼には同情はしないが、今回どんぞこに落ちて頂いた事で、 大変な教訓が得られた。まさにホリエモンは祟り神状態。 そこで、人々の間で今後のグローバリズムの資本主義が尚加速 する中でもう早くも議論が始まっているでしょう。パートの奥様が 語るには月10万を稼ぐのにやっとなのに、何か見えないものを 動かして簡単に何十億設けるということは許せない。人はやはり汗水 流して働いて給料をもらうものだと言う奥様方の意見も多い。 ここに物凄い嫉妬も見れなくはないが・・・ 勝ち組と負け組みの格差ですか。勝ち組が少数で負け組みがほとんど だとよく言われますね。勝ったら幸せか?負けたら不幸というわけで はないのは、よく言われることですし、実感できるところです。 金さえ全ての兆候はよくないと思いますという意見もちらほら 聞こえるようになった。  ホリエモンの大功績は勝ち組から負け組みへ転げるように失墜。 まさに祟り神となった。祟りが神からは沢山の教訓が学べる。 ホリエモン手法はアメリカの手法によく似ているわけです。 今後アメリカの外資がさらに進出してきた時の 準備策がある程度、ホリエモンのお陰で早められた訳です。 アメリカが何か言ってきても我々市民全員で議論してきており、 それに対抗するような日本的なモラルの視点やもっと深く日本的 資本主義を主張するよいリソースが得られたといっていいでしょう。  最もよいのはホリエモンの早い登場でグローバリズムに侵入してくる 外資に対し、市民がコミュニケーションの結果、対抗するべく手段を 始めたという事が一番の功利だと思ってます。

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 将来の夢ではなく眠っている時に見る夢。夢についてはフロイト の夢分析に代表されるように解釈に興味魅かれる人も多いであろう。 だが、今回は解釈自体ではなく、夢そのままを描く。 夢は誰でも経験あると思うが、次々になんの脈絡もなく凄まじい 場面に出くわす。夢を見ている本人はそこに意味を見出さないので、 不可解な夢でもそれをリアルに受け取る。理解しようとすれば、 起きた後であの夢なんて変な夢だったろうと思うことはあるが、 見ている最中は変だと思わず、それをありのままにリアルに 受け取っている。まさに解釈をつけず。  これを起きている現実に当てはめるとリアルとは何かが 見えてくる。今日一日振り返ってみても、全て覚えている 訳ではなく、そこに解釈を施してない時間帯が多数存在する。 これを今日だけではなく、過去に遡ってみればその時間帯が 無尽蔵の如く出てくる。そこにリアリズムを感じる。 出来事を出来事としてただそこに起こっただけである。  顔立ちは整っているが、太り気味であるという光景を 見たとする。ですが、ここには既に解釈が施されており、 リアルが消失している。  顔立ちが整っている。太り気味である。 こういう文章であるならば、BUTしかしが、含まれておらず、 ただそこにそういう人、光景があっただけのことである。 そこに意味を見出せなくなる。意味を見出そうとすれば、 できるが、できないこともできるのだ。  ジョン、文字をかく、休み、パソコン、曇ってきた、 ハローいない、こたつ暖かい、眠い、髪がかゆくなってきた、 雨が降りそう、曇ってきた、ファンタオレンジを飲む、 指が勝手に動いている。  上記のような感じで解釈をほどかず、ただただそれがリアル。 ただコラム書いているゆえ、そこに意味をもたそうとしている 意図が働いてしまっているのは否めない。  意味は大事な事もあると思います。ただそこに起こっているだけ の出来事に自分で意味づけして苦悩するのは損だと思うことを 言いたかった。深く悩まない事が美徳か・・・

踊る大捜索線!東久留米市を封鎖せよ!!

今回はコラムではないけれど、迷い猫に 関する情報あったら、コメント頂けると本当に 嬉しいです。 我が飼い猫ハローがいなくなって、 一週間。主にネコにビラ貼りやってもらったけど いろんな人が情報や聞き込み情報くれて すごく嬉しい。わざわざ電話を下さったり。 何ヶ月もいなくなったけど戻ってきたケースも 多数もあるので、諦めずに捜索続けます。 今日なんか明日東久留米市の市長選で雨の中 ビラ俺貼ってたら、マイクでネコのハロー みつかるといいですね、と選挙のかたわら いってくれるし、半分祭り気分。 まじいなくなったの、辛いけど ハローが自由を謳歌できているといいな。

リチャード・ニクソン暗殺を企てた男

リチャード・ニクソン暗殺を企てた男の画像  映画『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』この映画は1974年2月 にワシントンのバルチモア国際空港で起きたハイジャック未遂事件を 基にした映画。犯人は民間空港機をホワイトハウスに突っ込ませる という9.11を彷彿とさせるショーン・ペン演じるサム・ビック。 ニクソン大統領はウォーター事件によって辞職に追い込まれた アメリカ史上唯一の大統領。  サム・ビックは職を転々とするまともに生きようとする人間。 セールスマンになるものの、嘘がつけず、仕事がうまくいかない。 一方ニクソン大統領はベトナム戦争終結という公約をかかげ、 当選したが、実際は北爆を開始。2度目の選挙でもベトナム戦争 終結を公約に掲げるが、それも破り、続行。そのような嘘社会に 耐えられないサム・ビック。まともに生きようとすればするほど 脱社会化していくプロセスをショーン・ペンの見事な演技とともに 鋭敏に描き出している。サム・ビックにセールスマンとしての コツを伝授するために、カーネギーのビデオや本を読ませるが、 彼には伝わらない。思えば、自分もカーネギー等の成功プログラムを やったことあるが、あれは辛かった。信じるセールスマンは救われる 信じれば叶うという自己暗示。信じれば何事も実現するという 単純なこの方法論。あれはカーネギーという偶然的な成功が あっただけであり、全ての人に適用できるはずがない。  そう、何を人が幸せと感じるか、60億人の人がいれば、 60億人全員違う。世の中金が全て?そう感じる人もいるでしょうし、 いてもいいでしょう。不幸は何か?とは分かりやすいが、幸せとは 何か?となると人それぞれなので、分かりにくいところが あるが、サム・ビックは世の中お金があれば幸せになれると 思い込み、金の亡者とサム・ビックには映ったニクソン大統領 暗殺計画に踏み込む。  嘘をついて汚い商売をやる人間がタフネスに生きれて、 まともに嘘もつかずに商売しようとしたサム・ビックは ヘタレになった。あくまでも純粋すぎた。彼は。 そもそも不条理な世界の上にある社会なのだから不条理な 社会であるのは当たり前。社会に汚れつつも、世界に接触し タフネスに生きる事はできた。若き日の自分はサム・ビックに 共感する面もあるが、今では社会で汚れて生きるのは当然だと 思っています。ただ、奇跡的に不条理な世界の上に出来上がった 社会はもちろんまた不条理であるので、モラルやルールが 重要であることも否めない。ですから、社会というゲームの 中でモラルやルールを尊重していきたいとは思うのです。

2007年問題

 来年2007年度より団塊の世代が大量に退職していく。 それにはらむ問題が2007年問題と名付けられている。 団塊ジュニア世代は現在30歳前半。若者の側から見れば、 世代交代のチャンスで職にありつけるチャンスとなる。 現状の年金システムだと若い世代のお金が今の団塊の世代以降の 人々に年金として支払われる。  何もしない政治活動の極点として、国民年金の不払いがある。 若くなればなるほど、支払わないのは当然。今のままだとあの 制度がもって、10年でしょうか?無理くり20年か・・? あの国民年金の制度は明らかにおかしいので、このまま不払いを 続け、改正またはオルタナティブな選択肢を持つ必要がある。  ただ人材不足は否めないので、IT大国インドが日本に大量に 移民していく可能性はある。電車の中インド人だらけになるかも。 ただ日本人は傾向としてだが、異質なものに抵抗感を示す。 慣れればどうってことないと思うんだが、ただ顔かたちで 怖いと感じやすいですよね。自分も人一倍感じますもん。 ただ話してみると案外その不安感取り除かれるんですよね。 コミュニケーションの大事さを感じます。  菅直人元民主党代表が団塊党なるものを立ち上げた。 党といっても政党ではなく、甘党とか辛党とかの党(笑) 団塊の世代は高度経済成長を支えた功労者である反面、 終身雇用制、年功序列制さらには年金の受益者としても 恩恵を受けれる立場でもある。一方今の若い世代は 低経済成長を支え、終身雇用制はなく、年功序列もなく、 年金ももらえない、非常に不安定な世代に当たるわけです。 加えて、情報社会化によって個々がばらばらになっている。 菅氏が主張する団塊党の人の意見を聞いてみるとどうやら 若い世代のこうした感受性を理解できていないらしい。 彼ら、団塊の世代は学生紛争の当事者であり、いわゆる 共通体験をしてきた祭りをよく知る世代である。 マルクスもろくに読まないで、ただ彼らは共通前提のもとで 祭りがしたかった。そして、実行した。しかし、結果は、 浅間山荘事件に終息してしまい、未だにその不完全燃焼感 が聞いた話だとあるそうだ。  若い世代には祭りがない。ばらばらだからだ。祭りには 共通の前提が必要。共に生き、顔の見える共通の体験が あるからこそ、祭りでカタルシスが得られる。 2002年のワールドカップでは偶然舞い降りたプチナショナリズム でばらばらになった若い人でも祭り的な体験ができた。 あの味が今も忘れられず、若い人は祭りがしたいんですよ。 だが、そのノウハウが分からない。ばらばらになってしまって。 そこで、団塊の世代の登場だ。彼らが祭りを実行し、ノウハウを若い世代 に伝えてもらいたい。自分はナショナリズムを勧めているわけではないで す。もっと小さな小さな地域での顔の見えるコミュニケーションでの 祭りの重要さを主張しています。だってぱーっとやりたいでしょう。 不安定な社会でもどうにか生きている世代だもの。顔の 見えるコミュニケーションに対しては、個室化情報化で免疫がないだけ。 たまにはカタルシスを。具体的にどういう祭りを創っていくかは これからの創意工夫。ネットを使っての祭りも十分生かして、 新しい祭りをノウハウは団塊の世代に教えてもらって、 若い世代で創造していけたらと思います。祭り自体には コミュニケーションなぞ、いらない楽しさがあります。

聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥

 有名なことわざのタイトルとともに、恥にまつわるコラムを。 東京の人は冷たくて、道を尋ねても教えてくれないと地方出身者 が言ったとする。だが、実感としてそんなことほとんどないと 思うんだが・・・余程急いでいない限り、普通喜んで教えるでしょう。 自己満足も満たされるし。これは古臭い話なので次にいきます。  最近世の中は冷たい。育児まっさか中の母親が電車に乗っても 席を譲ってくれないし、ベビーカーを階段に運ぶのも手伝って くれない。しかも、家に帰れば家事を誰も手伝ってくれない。 世の中冷たくなっている。だからこそ、自分で何でも自立して やらなければ・・っとつぶやいたとする。  ここで自立って何?となる。当たり前だが、完全に全ての事を 自立して出来る人なんていないでしょう。水からガスから電車動か したり、パソコンを1から製造したり・・そんな事全部できないのは 分かっている。自立の定義は日本では曖昧だが、世の中全て自分で やるのは不可能。相互に依存しあうことで生活できている。  依存し合うのは当たり前。甘えるのは当たり前。それができなくて 自立、自立と豪語するのは恥を恐れているからだ。依存して、道を 聞いたり、席を譲ってもらったり、ベビーカーの階段運びも 自分から甘えて頼むのだ。テレパシー能力を持った人がいて、 それを察知して、助けてくれる人なんて皆無に等しいでしょう。 自分から頼みもしないで、テレパシー頼りで、勝手に世間は冷たい と思われちゃ、この人負担重過ぎる。  タイトルの聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥ですよ。 単にそういう気がしているだけで、人々が怖くなったりして いませんか?それは自分で勝手に人々の心を想像し、それを 膨らませてしまっているからだ。あーこれは神経症にありがちな 症状ですね。世間の人は冷たいと言っている前に、自分が聞くのが 頼むのが恥ずかしいと思っていませんか?世の中みんな依存しあって 生きているんです。恥ずかしがりやさんも魅力的ですが、 あまりに内に籠ると人間不信になりやすい。自分としては、 信頼ベースの社会を望んでいるので、頼んだり、甘えたり、 相互依存をやっていってほしいと思うわけです。 頼まれたりすることは余程嫌いなことじゃない限り、人は 自己満足に陥って喜びますよ。ただ、甘えようとする主体の 人が減っているだけ。受身で待っている人はきっと沢山いますよ。 これは経験からですが・・・憶測だらけのコラムでした。 なので、自分の実例を少し。本当に実例中の実例。ライターなかった ので、見知らぬ他人の人に火を貸してくれませんか?と恥を忍んで 頼んだ。そうしたら喜んで火を貸してくれた。それから月日が経ち、 自分も火を貸してと見知らぬ他人に言われた。自分も自己満足で 貸した。こんな程度のコミュニケーションはまだ根深く残っていて、 恥を忍んで自ら頼む人々が増えてくれる事を密かに望んでいます。

交通

 頻繁に日本は島国で他国からの侵入にもさらされず、江戸時代後期 まで、独自の文化を保ち続けた聖なる国と誇る者もあるが、これは 世界史的地理的に偶発的に他国から侵入される危険性が少なかったから であり、あくまで「たまたま」この偶発性に後々の人々が現在から過去 に翻って過去に意味づけしているだけである。  だが、偶発性への意味づけ自体偶発性にさらされており、たまたま 西洋の文化が入ってきたために西洋的な視点から意味づけしている だけで、そこに必然的な根拠はない。自分がどんな影響を受けて 今この時間、空間でこのコラムを書いているかも偶発的。 同じ内容の文章を書こうと思っても、時期がずれれば、かなり変わる。 偶発的に今書いているに過ぎない。永遠的なものを書こうとすることも できるが、そこに偶発性の悪魔が忍び寄る。  そこで、君はこの偶発性に耐えられるか?となる。自分の答えは 否。流動的な偶発性に晒され続けているのは自分は耐えられない。 だからこの偶発性に偶発的に意味づけし、偶発性に神秘性を感じつつ 、非流動的な世界に耐えられる。世界ではなく、社会で生きるには 何らかの意味づけが必要。宮台ファンに影響される自分であるが、 これもまた偶発的、彼の言葉を借りれば、今や古臭くなった、 「意味から強度へ」だが、彼の主張も今や「意味と強度の共存」 である。自分の言葉は言葉の受け売りなのはもちろんであるが、 そのあらゆる影響を受けてきた言葉をどう組み替えるかは 自分の偶発的な状況によるからその組み換え作業はある種独自のも のといえる。  映画『パッチギ』に見られるように、じっくり考えて思考するなんて 世界史的に見れば余裕はなく、破壊的な文化の侵入が偶発的に 行われてきた。そこに交通が生まれる。破壊の中から交通が生まれる という逆説。この交通に正直でそこで生まれたものに今日も 意味づけして生きていくのである。っと同時に偶発性の中に 身を寄せて世界と交通するとほっと一息つけます。

映画マイベスト10(2005年度)

 あくまでマイベストであり、自分が2005年に観た映画なので、 新旧作含まれています。ご了承の程を。 ☆第1位 『パッチギ』      ※井筒監督映画のすごさは理解しあう事ではなく、       理解できなくとも、共存する様を描ききった姿だ。       そこには異質なもの同士の衝突と衝突がある。       衝突しかなくともそこに交通が生まれる。 ★第2位 『old boy』      ※カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた復讐三部作の       2部目の作品。物語としての緻密さと復讐というものに       見られる人間の俗なる部分を見事に描き出した作品。 ★第3位 『時計じかけのオレンジ』      ※故スタンリー・キューブリック監督の数十年前の作品。       現代の不信ベースの社会に関わる高度監視下社会に       疑問を投げかけた、現在のアメリカをはじめ、日本で       抱える大問題を描いた秀作。  第4位 『TAKESHIS’』      ※前衛的な北野武の終わりともはじまりとも呼べる映画。       かなりシュールなので、きつい人はきついが、       たけし映画では自分は一番だ。  第5位 『ハサミ男』      ※流行している解離性人格障害を扱った映画。       奇跡的とも言える解離した人格自体に無条件に       認められ治癒していく様はなさそうでありうる       秀逸作。  第6位 『海を飛ぶ夢』      ※紛れもなく安楽死の議論に拍車をかける映画       精神的な過度の苦痛も安楽死の基準に導入するべきか?       その判断いかに?  第7位 『NANA』      ※周りに流されるヘタレのハチとナナ。       ヘタレないナナの生き方は見習うべき点多数。       続編に期待。  第8位 『交渉人真下正義』      ※踊るファンにはやはりたまらない作品。       同じオタクでも犯行に走るか?走らないか?       かっこいいから犯行に走らない真下は言う。       踏みとどまる方がかっこいいからだと。       だが、この作品はオタクへの偏見多し。       オタク=犯罪者予備軍図式による偏見はそろそろ卒業せねば。  第9位 『電車男』      ※1989年の宮崎勉の幼女連続殺人によるおたくへの       偏見を大分取り除いた作品。ひらがなのおたくから       カタカナのオタクへの変化。つまり一般化だ。  第10位『ジョゼと虎と魚たち』      ※大分前の作品となるが、これは挙げずにはいられない。       恋愛の過酷な現実性を描いた映画。思い出すと       泣きそうになります。   

雑談下手

 雑談下手に関する本をずらっと本屋で見ると意外に俺が知る限り 2冊しかない。ビジネスコミュニケーションに関する本ならいくら でもあるが、何故かない。それだけマニュアルに基づいて習得する ものではないが故のものだからであろう。ただそれに反し、雑談下手 に悩んでいる人は多い。その種の読者層には自分を癒す本系等が あてがわれて終わりになるのがオチである。    確かに雑談に関してはマニュアルはないが、当たり前だが、 気づきにくいマニュアルではない、マニュアルを書いてみたいと思う。 1、質問する。 大体がこれに尽きるかな。 お天気いいですね?そうですね。今年は大寒波でやられますね。 こんなに寒いと何もやる気しませんね?でも活発に動いている人も いますよね?箱根駅伝の選手とか?そうそう、箱根駅伝といえば・・  まぁ〜軽くこんな感じで。この短い会話の中だけでも質問?が 4つ出てくる。1つ質問すると、何十にも質問事項が出て来る。 質問者さえいればどーでもいい事でもいつまでも続くんですよ。 大体がしゃべりたがりの人が実は多いので、どーでもいい質問 しても喜んで返ってきますよ。  冬休み何してたんですか?   別に! っと返されたとしても。  何もしなかったんですか?  寝正月だった。  年賀状は送ったの?  いや、誰にも送らない性質で・・  なんで送らないの?  面倒だし、一年に一回の縁じゃね。  それじゃ、深く浅く付き合うタイプなんだね?  まぁーね。  親友いるの?  別に。  孤独が好きなタイプなのかな?  別に。  えぇーどっちなんかい!?(笑)    別に。  別にが口癖?  そういやぁ、俺別にばっかり言ってるな。 う〜ん、まぁーこんな感じで、しゃべりたくない人にも 無理やりしゃべりさせるテクニック(笑) ここで、そこまで意識して雑談を続けるのもアホらしいと なってくる。以前自分が話し下手で悩んでいる頃、 自分と自分で実際に声に発して、雑談の練習していたことが ある。暗くかつ、滑稽ですよね(笑) 今思うのは、自分が興味を感じなければ質問なんてしないし、 雑談の必要性もさほど感じられない。 なので、 1、質問する 以外に 2、沈黙 3、つかれたぁ等のつぶやき 4、ボディランゲージ ぐらいだろう。 2、3、4が実は大切だと思ってますよ。 それ自体がコミュニケーションですから。 非言語的コミュニケーションなるプラトン以前のソクラテスや ソポクラスが主張してきたことですから。  しゃべらなきゃ、しゃべらなきゃと焦るとそれだけで精一杯で 興味もくそもない。2、3、4でとりあえず、十分。 自分が興味あるなら、質問しましょう。 質問され、自分が興味あることなら話しましょう。 雑談にはマニュアルなしなので、確かに本も2冊に留まるのも 分かるな。かいてみて。雑談が何か特別な技術がないとできない ものだと思っていることが原因。雑談の主たるメンバーは 2、3、4かな。みんなそれは自然とできる。 まぁー興味があったら質問したり、されたりしてみてください。 なかったら、2、3、4で十分。
プロフィール

まさみ

Author:まさみ
ブログはこちら一本でやっていくことにします。

パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
⊂⌒っ*-ω-)っ

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