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あけましておめでとう♪

 明日スキーに行くから言っておきます。年賀状代わりに・・ 今年も読んで頂いてありがとうございました。 mixiつながりの人は結婚写真も載せてあるので、年賀状の 挨拶代わりに見てください。 それでは、今年も宜しくお願いします。
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対人恐怖症パート?

 対人恐怖症シリーズ第2段。何故そのような症状が自分の身に襲うか? ここが大事で自分がダメな人間であるとか何故自分だけこんな目に遭わ なければいけないのか?となりがちだが、神経症的な悩みは多くが、 社会的な背景が原因である。何か問題があった時にその部分を近視眼的 に見るのではなく、その背景を奥の奥まで遡って見るのである。  対人恐怖症と言う言葉がまだ今ほど認知されていなかった頃、 自分はやはりイイ意味でもワルイ意味でも自分を特別な存在だと 思ってしまった。自分にしかないこの症状、なくなって欲しい と願う反面、実は治ってしまったら、自分という核がなくなって しまうのではないか?とトンチンカンな恐れを抱く。 ここは分かりにくいと思うが、あるA部族がいるとして、そのA部族には 宿敵B部族がいる。だが、その宿敵のB部族が滅亡してしまうと、 A部族がアノミー(無秩序状態)に陥るというような。 分かりにくいか、この例は・・^^  対人恐怖症という同じ悩みを他にも抱えている人がいてすごく 安心したという人の心の言葉をよく聞くが、自分はその逆。 なんでい、俺だけじゃなかったのかい!つまんねぇいやい。 まぁー俺も変わってるから対人恐怖症者として一番になりたかったから、 みんな早くても小学校からの発症。大体が中学か、高校か。 おいおい、自分なんか保育園入園時から自覚してたぞ。な〜んて、 変な対抗心燃やしてみたり^^ 今じゃその系列でいくとひきこもり、ニートですかい。 マスコミで大々的に報道されて、安心感持つ人反面、これだけ 多くいるとつまんねぇ人もいるでしょう。 そこで、1抜けたぁ〜っと。他にも沢山同じような症状抱えて 生きているのを知るとつまらなく、執着心も減る。  ここで前回の対人恐怖症で述べてきた事につなげます。 対人恐怖症との共存です。もし、自分が対人恐怖症にまつわる 症状が出ないのなら、どんな傲慢で嫌な奴になっていたか 想像してみて下さい。自分の場合現在禁酒期間1年半ですが、 酒飲んで対人恐怖の症状がなくなった時の自分がいかに 傲慢で嫌な奴かよ〜く想像するだになく分かっています。 症状が自分にブレーキをかけてくれていたんですね。 実はありがたや、ありがたや、対人恐怖の症状となってる 面もある。車のアクセルとブレーキの症状はブレーキですね。 対人恐怖症との共存という意識を持つという事はいいのですが、 それ自体が対人恐怖症というものにまだまだ自分の核を置いている。 車の運転と一緒でアクセルとブレーキは当たり前。運転も慣れてくれば 気づかずにブレーキを踏んでいる。いまいち、もっとイイ例ないかなと 思いつつ、なんというか症状が出ていてもあまり気づかなくなっていく。 対人恐怖症との共存という事も意識しなくなる。運転したてなんか ブレーキ意識しすぎてやけにブレーキつかいまくるでしょう。 慣れてくるとスムーズにブレーキをつかう。それと同じで症状も 緩和はしていきますよ。緩和というか、スムーズに出てくるというか。 時に危険な時は急ブレーキとして出てくる時はあるだろうけど、 めったにないんでご安心を。ただずっーっとブレーキ押しっぱなし だったら、何も車動きませんから。  やばい、対人恐怖関連かくと、筆が進む。自分もまだ拘っている のかもね^^言っちゃ悪いが、楽しくこの手のコラムは描けます。 悩んでいる人に対し、楽しく描いてどうするんだ?と反発を受ける かもしれませんが、ユーモアが至極大事だと感じています故。

保守本流

 吉田茂、特に白州次郎の流れを汲む保守本流。その流れは田中角栄 へとつながる、経世会的な政治に連なる。保守本流は、あくまで、 戦略的に振る舞い、アメリカの安保体制の名の下にアメリカに軍事力 の面では守ってもらい、軍事基地も提供するが、あくまで国内の経済的 な再復興を遂げる事を最優先事項とした。よく、ばらまき政治と 批判されるが、彼ら保守本流は、経済復興を遂げた暁には、戦略的に アメリカに追随する事をやめ、日本独自のフリーハンドを持つ事を 考えていた。ベタにアメリカ追従ではなく、あくまでネタとしての アメリカ追従であった。だが、そのネタがベタに変化する重要な 事件が起きた。  有名なロッキード事件である。田中角栄元首相は、日本は経済的な 復興もされ、アメリカ追従路線を変更し、独自外交をし、日中国交回復 という偉大な業績を成し遂げた。中国という国はあくまで中華思想。 あくまで自分の国が世界の中心とみなしているわけであるから、 ベタではなく、ネタとして、私(田中角栄)は中華思想を理解し「 だからこそ、自ら中国に赴いたのだ」っと中国人、大喜びの 戦略で日中国交回復を成し遂げた。さらに、独自外交で、アメリカ以外の フリーハンドを増やすために、中東との外交も進めようとする矢先に アメリカによる陰謀としか思えないロッキード事件で、田中角栄逮捕。 非民主的な長引く裁判、獄中で彼は死んでしまった。 田中角栄と言えば、単なるばらまき政治の悪玉と思う向きもあるが、 あくまで戦略的にばらまきが必要な時もある。賄賂的なものも実は 必要。ただ、その後の事を考えているかどうかである。いつまでも ばらまき政治がよいと考えているなら単なるベタな野郎だが、 ネタとしてやっているならよいのである。 田中角栄は官僚の操縦にも長けていた。「俺は中卒で専門的な事は 分からない。ばんばん独自の法案や政策を出して欲しい。(官僚は 責任を取ることを恐れるから)しかし、責任は俺が全て取る」と 官僚に演説し、官僚もいろめきたち、独創的な政策をだしてきた。 それを元に議員立法もばんばんだした。  さて、小泉純一郎首相は田中角栄に連なる経世会的に反する福田赳夫派 に属する側である。中央集権的なばらまき政治がベタに悪いと思っていた ら、それは小さな政府となるしかないでしょう。保守本流はベタに ばらまき政治をやっていたわけではなく、あくまで戦略的に振る舞い、 いつでも、路線変更は時代の状況に合わせて変えていく事なんて 当たり前のごとく考えていた。ロッキード事件が大きな発端か、 それは忘れられていく・・・ベタに旧経世会を壊し、ベタにアメリカ べったりでは・・・っとなるのである。ただ、経世会的な政治は 老朽化していたので、壊す事は必要だった。ただベタに壊していたら 創る事はできない。ネタとして壊すのなら、創ることもできるが・・・ 小泉さんはベタに壊しているだけなので、創る事ができないが、 側近が小泉さんを利用している面もあるので、どうにか戦略的 振る舞いも均衡が保たれている。鈴木宗男批判は多いが、今年の 9月の総選挙自民圧勝と言われているが、それは都市部のみ圧勝 であって、北海道、沖縄をはじめ、地方では惨敗。これはバランスの 面からいってもよいことです。  アメリカにとって日本の軍事基地は極東戦略上重要なものである。 日本がアメリカ出て行け!ということは一番困るのはアメリカなの である。ここです。ポイントは・・・

ネットコミュニケーション

 インターネット。思えば、NTTが利権を守る為に、ISDNなる 今では(ナローバンド)という接続速度も低くかつ高額なものを 提供してしまい、インターネットの普及が遅れた。Yahooにインター ネットが開設できないやら、顧客情報流出問題やらで、文句言う 人たちの気持ちが分かるが、不備はあれどADSL(ブロードバンド) という早くしかも安価なインターネットサービスをするには 仕方がなかった。NTTの牙城を打ち破るのは相当な覚悟がいたはずだ。 賛否両論あれど、孫正義氏には感謝している。  毎度の如くで申し訳ないが、昔ながらの共同体が崩壊しつつあるのは みなさんも実感しているはずだ。隣の人は何する者ぞ?という言葉は ますます重みを増しているし、ご近所さんの交流がネットやメールに 割く時間でコミュニケーション量が相対的に減っているのは実際の ところだと思う。視覚に障害がある知人がいるが、みなさん、携帯の メール打ちながら歩いているから、バンバンぶつかってくると 嘆いておられた。駅のホームを眺めれば、大体の人が携帯を 見ているでしょう?すると例えば、当たり前のように気づく困っている 人がいても本当に気づかず、そこでコミュニケーションが交わされる 事が少なくなっている。あくまでこれは相対的な問題なので、 ネット的なコミュニケーションではない、従来からの共同体的な 濃密なコミュニケーションをしている人も数多くいる事も確か。 そして、ネット的なコミュニケーションが悪く、非ネット的な コミュニケーションが良いという良い、悪いという問題でもない。  従来型の終身雇用制が消えうせつつある中、肩書きなるものが 自分の非流動的な核とならず、いわゆるコテハン(固定HN)なる もので、ネット上ではどんなに生活の中で肩書きが変わろうとも 非流動的な核となることはかなり心の安定につながると考える。  ただ自分自身も経験しているし、皆さん方も経験していると 思いますが、ネット的コミュニケーションには文脈がない。 例えば日記一つとっても自分もそうであるが、昨日はあれほどまでに 俺の人生もうだめだ・・・っとなっていたのに、次の日には何の 脈絡もなく、昨日の事はなかったかのように明るくなっていたりする。 その次の日にはまた何の脈絡もなく、暗くなっていたり・・ 掲示板やメールなんかでも同じ時間、空間でコミュニケーションして いるわけではないので、その人がどんな文脈の中でそういう発言を しているか見えにくいので、誤解が生じ、争い事がおきやすいと言える。 生のコミュニケーションであったって、コミュニケーションは誤解が 生じることは当たり前なので、ネット的コミュニケーションだと 尚更ですよね。問題は誤解が生じやすいということを踏まえ、理解して ネット的コミュニケーションをしているかしていないかと自分は 思います。誤解が生じるのがコミュニケーションの醍醐味でもあるので そこですよね。生のコミュニケーションでも生じる誤解がネット的 コミュニケーションではさらに置きやすいと。さらに先に行けば、 その誤解自体を楽しめちゃったりすると良いかもと思う昨今です。

今回はお頼みが・・・

現在まぐまぐの第2回 まぐまぐBooksアワードに参加しています。 投票数によって大分審査員に左右されるので、12月21日までと 期間は短いですが、1日1回投票してくださると本当に助かります。 現在356位。もし、このコラムが気に入ってくださる方いましたら 投票お願いします。不躾なお頼みですみませんね。 投票してくださる方がいましたら、↓をクリックして投票して 下さると助かります。年末でお忙しいと思いますが、投票には 一分もかからないので、お願いしたいです。宜しくお願いします。 投票するには↓のサイトにいって投票していただけると幸いです。 まぐまぐ投票サイト http://books.mag2.com/dynamic/m/0000134361/index.html

憲法について

 今年9月の総選挙において郵政民営化一本槍で、ほとんど話題も なされなかった憲法改正問題。問題はこの点に尽きる。憲法という ものが何なのか、国民(国の民という形で民が下という感じがするから) いや、市民的合意が全くなされていない。このコラムでも何度も述べて いて、自分も時々誤解するし、学識者や朝生司会の田原総一郎も 理解していない事が多い。憲法の基本は市民から国家への命令。 その逆は絶対にありえない。憲法は国家を縛るものなので、憲法 違反を犯す事ができるのは統治権力のみ。市民には憲法違反を 犯す事ができない。ここが一番重要。憲法は市民が作っている事 を忘れると、憲法に愛国心を盛り込むというようなバカな発想に いきつく。憲法は統治権力に対する命令なのだから、市民に愛国心 を強要するのは、そもそもできないシステム。  できるとしたら統治権力に対し命令した市民が統治権力に 法律を作らせ、教育基本法に愛国心を盛り込むことはできるが、 ここで、愛国心とは何か?となる。戦前のドイツや日本のような 国家に対し、崇高なる精神を持つことを愛国心ととるならば、 戦略的な計算ができず、無辜の市民が無駄に犠牲になってしまう。 愛国心とは計算可能な市民益。あくまで統治権力が下で、市民が上。 市民にとって有益になるよう戦略的な計算をしていくことが愛国心。 よって、教育基本法に愛国心を盛り込み市民に強制するなら、市民益 の為なら、226事件のような統治権力を武力で市民が倒すことも 許される事になる。  小室直樹先生がおっしゃっていることだが、憲法は生き物であり、 そこにかいている条文自体がそれほど重要ではなく、市民の意思=憲法 なのである。マスコミ報道にも問題があるが、あるスキャンダラスな 問題だけを取り上げて、他の問題はそっちのけ。北朝鮮問題も 拉致問題一色。核、ミサイル問題解決してこそ、解決できる問題 であるのに、そこで視野が狭くなる。マスコミ報道の視野の狭さなる 故かな。一つの問題は他の問題と複雑かつ同時に繋がっている。 記者クラブ制度に守られたマスコミには多角的な角度からの報道は 統治権力に遠慮してできない。しゃべり方が好きな朝生に出ている 姜尚中(かん・さんじゅ)氏は1度公の場から離れてアカデミズムの 世界に埋没しようとしていた。しかし、彼は諦めず、朝生や日曜討論 等々に出演し、市民に啓発活動を行っている。学校では教わらなかった 無知な我々に専門的な事を分かりやすく公演してくださる学者、政治家 識者、ジャーナリストの方にエールを送りたいです。

隣人13号

隣人13号の画像  昨今、ありがちな多重人格障害を扱った映画『隣人13号』 これだけ多重人格系がテーマになりやすいのは、前回も書いた 通り、高度情報化社会による共同体の崩壊が大きな原因と思われる。 共同体崩壊前は、同心円的に中心に自分がいて、その周りに家族・ その次の周りに友達・恋人・その次の周りは見知らぬ他者となって いたのだが、今では、同心円的なつながりもなく、インターネット等 により、あっという間に見知らぬ他者につながることができ、かつ 見知らぬ他者だからこそ、普通では話せないことを話して親密な 関係になる。分かりにくい人とのつながりとなり、その都度、ある 程度その人、その場で人格を変えていくのは自然な流れなのかも しれない。それが当たり前となれば、器質的な病気でなければ 解離的なものは当たり前という認知となるのかもしれない。 時代の過渡期だからそのような状況が起きているに過ぎないと 考える事もできる。  さて、映画の話。主人公の村崎十三は小学校時代にいじめられた 赤井に復讐する為に10年ぶりに赤井近くへと引越してくる。 普段の十三は穏やかであるが、もう一つの人格の13号は凶暴で 次々に残忍極まりない行動を起こす。お決まりのように13号に なっている時の十三には13号になっている時の記憶はない。 だが、次第に記憶もある場合もあり、それをおしとどめようと しさえする。  村崎十三はヤンキーの赤井(新井浩文・・彼のヤンキー演技は今一番 じゃないか!?)を昔いじめられた学校に人質にとった息子をネタに 呼びつけ、ついに復讐の時。13号は見事に復讐できた・・・ 赤井が謝った・・・・  ばぁぁーーーっと過去に戻って卒業式で13号ではなく村崎十三が 小学校時代の赤井を瓶で殴った。悪かったよ、と謝る。 自分の解釈としてはこれは大人になった村崎十三の物語ではなく、 小学校6年生の彼の妄想の結果、妄想ではなく、実際にいじめの 仕返しをしたと解釈したい。情報氾濫社会において、小学生と いえど、これぐらいの妄想できてもおかしくない。そう、初めから 13号など存在しなかった。自分の力で怖かったけど仕返ししたんだと。 電車男でもそうだったが、怖い事をするのは勇気がいります。 あまりの恐怖心を感じるものは避けるのが自分のスタンスだが、 怖いがなんとかなりそうな場合勇気を持って一歩踏み出すのは 必要だと感じます。ニートの方、単発バイトでもいいから 一歩踏み出してみたらどうでしょうか?ニートの人にとっては 非ニートの人とは違い極端な恐怖心を感じるのですから、 たとえ1日バイトで看板持ちの仕事(自分もやりました) でも、怖くても一歩踏み出すのはかっこいいことです。

狂牛病

 狂牛病。これまた科学的に立証されてはいないが、肉骨粉と呼ばれる 同類の牛が含まれる飼料を牛が食べる事によって起こるとされている。 簡略化して言えば、草食動物であるはずの牛が牛を食べることによって 起こる。肉骨粉を牛に飼料として食べさせるのはやめたとはいえ、 肉骨粉をにわとりや豚などに食べさせ、そのにわとりや豚を肉骨粉化 したようなものをアメリカでは牛に食べさせているというのだから、 回りまわって、やはり、牛が牛を食べている構造があることは 変わらない。  同族を食べる事によるこのような狂牛病の例は200年以上前 から報告されているようだ。いわゆる人間が人間を食べることに よって、狂牛病と同じような病気が発症されたとの事例もある。  こうして、考えてみると、ある種の神秘性を感じざるをえない。 タブーを犯すとこのような事例が起きる事実。行き過ぎると歯止めが かかるのが生き物としての本能なのであろうか?  それはさておき、今後アメリカ産牛肉が輸入再開される。 アメリカ産牛肉さえ食べなければだいじょうぶというわけではない。 カレーのルーやスープに既に牛肉が含まれ、どこでどのように 混ざり合っているか分からないので、判別不可能だ。 それでも狂牛病を恐れるのなら、カレーのルーもスープも肉も やめなければいけない。とはいいつつ、狂牛病の発症は約20年後 とされているので、正直どうでもいいという人もいるし、 子供には食べさせたくないという人もいるであろう。 最後は消費者自身の選択の問題となる。20年後ぐらいなら死んでも 食べるか、食べないか。この20年が、近視眼的な選択肢にさせ、 食べる方向に走る者も多かろうが、消費者主体として、選択は 迫られる。日本人の腸には肉は合わないというのはあながち 笑える話ではない。ただ選択するためには情報公開が もっと必要だ。マスコミではアメリカに遠慮して、狂牛病について やんわりした報道しかしないので、なあなあで終わる。 主体的に振舞うためには情報が必要となるが、限られた情報内で 選択をしていかざるを得ない状況であろう。

マルクス

 社民主義が先進各国では主流。表向きは資本主義であるが、日本が 代表的であるが、実は社会主義的な再配分方式によって、資本主義に 憑き物の失業等を減らす。  冷戦崩壊後、マルクス主義など言おうものなら、馬鹿にされるのが オチだが、またさらに再びマルクスを読み返す時期に来ているのかも しれない。共産主義というものが、国家による独裁政権を生むという 反省から見て、グローバリズムな資本主義が世界を席巻している。  南北問題と言われる、根っこにはそれまで相互扶助の自給自足 の生活をしていた諸国が、資本の流入より、今まで自給自足の 為に使われていたバナナ等々のものがより、世界の市場で売れる 換金作物に変えられ、そして買い叩かれ、目の前にバナナがあって も手をのばして食べようとしてもそれは先進国に買い叩かれて、 我々日本人のようなものが食べているという状況だ。 よって、世界市場のグローバル化により、それまで安定していた 相互扶助の自給自足の生活で豊かであったにもかかわらず、 貧困化させられている。資本主義の帝国主義たるか。  マルクスは国家による共産主義のような独裁政権も アナーキズム(無政府主義)も構想などしていなかった。 ここに誤解がある。共産主義は国家と資本による統制であると。 だが、マルクスは現代でいう、生活協同組合、消費協同組合 のような相互扶助の中間集団が中心となる社会を望んでいたように 思われる。地域通貨といって、ドルや円にも支配されない、 貨幣としても存在しない帳簿上だけの地域通貨を使って相互扶助 システムだ。  これは社会学者の柄谷行人の考察であるが、資本の不断の連動 国家の統制を止めるためにできることは消費者として不買運動を することであると。資本を使わず、生活ができるか? そこで地域通貨。仮にAさんがBさんの家の芝刈りをしてあげる。 ここでAさんは地域通貨+1を得る。Bさんは−1となるが、 地域通貨に参加するものは同じ共同体なので、BさんがCさんに 対し、自作農園のキャベツをあげることでBさんは0となる。 概略的にはそうだが、あくまでこの活動に参加するものは 倫理的な振る舞いが要求される。あまりにもマイナスが大きいものは 取引してもらえなくなる。  このような地域通貨、夢空言かと思いきや、世界ではかなりの 数であるようだ。高度成熟社会以後、個室化、テレクラ化、 ポケベル化、携帯電話化、インターネット化により、かつての 共同体はほとんど壊滅的状態。過去の共同体を取り戻せといっても 時代の高度情報化社会の流れを止められない。 そこで、それを逆手にとって、新しいインターネットを使っての 共同体を創るのだ。もちろん地域での顔の見えるコミュニケーション が一番の肝要だ。  共同体復古論者はいいが、時代の流れは止められない、新しい形の 共同体にはインターネットは不可欠か?

地球温暖化

 地球温暖化とささやかれているが、実は科学のアカデミズムの 現場では議論は二手に分かれている。人為的故に温暖化が進んでる という議論と人が介入していなくとも自然が勝手に温暖化している に過ぎないという議論。  人が存在しない自然史的な視点から見ても過去に氷河期を迎えたり、 温暖化していたりする。ミュージシャンのビョークが言っていた。 『人間如きに自然を壊す事はできない・・』っと。  しかし、人為的な原因で温暖化が進んでいるのであらば、京都 議定書で定められたCO2削減目標に批准した国が対策を進めねば なるまい。EU諸国は風力発電等進んでおり、目標は達成できそう だが、日本は絶望的。アメリカは批准すらしていない。理由は 上記に述べた科学上温暖化が人為的なものと完全に証明された わけではないからだ。いかにもアメリカらしい発想で未だ生まれていない 子孫に環境問題のつけが回ってくる。自分たちはその頃は死んでいる からどうでもいいという短絡的な発想が見て取れる。  カントは「他者を手段のみならず目的として扱え」と言った。 ここでいう他者とは死者も含まれるし、これから生まれてくる世代も 含まれる。環境問題のつけはこれから生まれてくる世代のみならず 南北問題と言われる、貧困諸国につけが回る。 世界の食料をもし、平等に配分することができるのならば、 世界に貧困はなくなるのだそうだ。資本のグローバリズムの 不断の運動を止めるには社会学で言う中間集団、生活・消費組合・ 地域通貨等となると思うが、それらの活動主体に移行するには、 何百年と時間がかかるだろう。この何百年感覚で世界を考えると 自分の人生においても不思議な想像力が生まれる。

電車男

電車男 スタンダード・エディションの画像  遅ればせながら映画『電車男』を鑑賞。弱い犬程よく吠える2チャン ネラーのヘタレさとこのままではだめじゃん的な匂いがして、 感動しましたよ。この映画でまさに音声によって掲示板の言葉が 電車男へのエールになるのはいいですね。HEY!HEY!HEY! でさだまさしが、匿名でぼろくそ言ってくる弱い犬どもに、パソコン の中に入って『名を名乗れー!!と言いたい!!! 』と言っていたのを思い出して思い出し笑いしてしまった。 そういう自分もインターネット空間での方がものを言うヘタレかな。 だけど、ネットの自分と実際に会った自分は変わらないと 思っています。ただお酒を飲んだら別人格になりますが・・・ 酒を1年3ヶ月辞めているのでそこはご勘弁を・・(汗) それは置いておいてネット空間において、荒らし、中傷行為は したことはありません。弱い犬は弱い犬だけど 荒らし、中傷までいってしまうと一線を越えるようで、かっこ悪いじゃん。  松本人志の『好き嫌いで判断する』という本があるけど、何かを 人を好きになる、嫌いになるというのは、かなり不可思議なもの だったりするんですね。トラウマ的なもので、嫌いになるというのは 分かるが、トラウマがあるからこそ、あるものを好きになったり 嫌いになったり。好き、嫌いの理由はないと思っています。 偶発的に襲ってくるその人の実存なのかな。 だからどんな人が自分を好きになってくれるか、嫌いになってくれるか そこに理由はないわけで、逆に自分もどんな人を好きになるか、嫌いに なるか理由はない。おもしろい・・・と思いませんか?

女系天皇

 2000年の歴史を誇ると言われる天皇制。1代目神武天皇から 始まり、現在の天皇は125代目の今上天皇。戦前の教育では 100以上に昇る天皇の名前を暗記させられたそうです。  愛子様は男系に属する女性なので、脈々とつながる天皇制に おいて、女性天皇も存在していた事もあり、OKなのは当然で、 ただ愛子様の子供が天皇になるのは女系天皇となってしまうので、 NGとなる。そこで、男系天皇制を維持するならば、旧宮家等 親戚につらなる男性から愛子様以後の天皇を選ばなければいけない。 血筋が絶えそうになってきたら、その手段で天皇制は維持してきたのだ。  で、問題はフェミニストなどからある何故女系天皇はだめで、男系 天皇はよいのだ!?男女平等の観点から女性蔑視だとざわめくものども がいる。いやいや、そこは憲法にも定めてあるが、天皇は特別な 存在。むしろ平等どころか、国から我々市民以下の権利しか持っていない。 移動の自由もないし、職業選択の自由もないし、表現の自由もない。 平等どころか、大変苦しい権利しかもらえないわけです。 女性蔑視と言うのなら、あなたは本当に移動の自由もなく、職業も選べず、 表現の自由もない天皇にあなたはなりたいですか?と問いたい。  それよりも、アメリカのように伝統のない国ではなく、伝統のある 国のまさに象徴?として男系天皇制を維持するのか?大店舗規正法に より地元商店街的な店舗は消えうせ、全国どこにいってもマクドナルド 、ジャスコ、セブンイレブンでいいのでしょうか?便利で効率的で ありさえすればなんでもよいという伝統のないアメリカニズムに 対する為の一つの対抗手段として男系天皇制は重要なものととらえる。  問題は日本の天皇が聖なる存在として、一言政治的な発言をすれば、 それで国が動いてしまう可能性があることだ。イギリスの皇室のように 単なる俗なる貴族ではなく、聖なる存在として存在してしていることに 注意を払わなければいけない。時代の風潮から言って、天皇崇拝者が 増えていくとは思えず、天皇制がなくなろうが、なくなるまいが、 それどころか、無関心な人が多いだろう。何があるか分からないが、 順調に進めば愛子様が天皇になるのは何十年先も後だ。十分議論して 置く余地がある。自分は天皇崇拝者ではないが、全てが流動化していく 中で男系天皇制という伝統は大事なのではないか?と思う。 それとともに自分という存在に対し、流動的な社会の中でぶれずに いる「何か」を持ち続けたいと思うのである。
プロフィール

まさみ

Author:まさみ
ブログはこちら一本でやっていくことにします。

パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
⊂⌒っ*-ω-)っ

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