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コンビニエンス強迫神経症

 よく言われる事だが、外国人が時間通りに電車が来る事に驚愕 すると言う。先の電車事故でも明らかであるが、あまりに過敏に 電車の時間を守る。そして、我々日本人の多くは電車が一分でも 遅れるといらいらいらいらする。すぐにクレームをつける客も 大勢いる。自分もそのコンビニエンスさに慣れきってしまったため、 一分でも遅れるといらいらしたりする。遅刻した時は嬉しいけど(笑)  宮台真司さんの弟子のお話で知ったんですが、そのお弟子さん、 Oさんがフランスでキャッシュカードかなんだったかをいれたが、 機会が誤作動を起こし、カードもでないし、お金も引き出しできないしで もちろんクレームをつけた。もちろんのことだが。だが、相手は 修理は今度の水曜でないとダメだといい、すぐにはダメだと 当たり前のように返した。その日は金曜でその日に帰らねばならなかった。 仕事があるし、航空機のチケットもあるし、すぐに帰らなければ いけないので、すぐに直してくれ。それが当たり前だろ!と 言うのに対して、それに対応したフランス人は、だったら、 帰る日を来週の水曜にすればいいだけの話という始末!!  はぁ〜!?という話ですよね。コンビニエンスに慣れた人間にとって 機械の誤作動にいらいらする。誤作動が起きたらすぐに対応してくれない とその時は堪忍袋の緒が切れるってぇもんだ。  どこもそうとは言えないが、我々日本人は特に機械の誤作動に 過敏。携帯電話が少しでもつながらなければ、大クレーム。 インターネットがつながらなければ大クレーム。パソコンがフリーズ したら大クレーム。自販機を入れてジュースがでてこなかったら 大クレーム。自販機にお金を入れて確実にジュースが出てくるのは 日本ぐらいのようなもの・・・らしい・・・  これはコンビニエンス強迫神経症というべきものに値する。 普段、機械の誤作動が当たり前でないと思っているから。 だが、我々のほとんどは機械のアーキテクチャー、仕組みなんか てんで、理解していない。アーキテクチャーを理解せず、 ちょっとでも誤作動が起きたらいらいらいらいら。。。  アーキテクチャーを知らずしてその恩恵だけを受けているので、 それは脆弱にならざるをえないですよね。宵越しの銭はもたねぇみたいな 風土も江戸時代にあったのだから、もともとの気質ではないのかな。 日本は特にあまりの急速な近代化、コンビニ化したためなのかな。  機械の誤作動ごときに腹を立ててたら、ちっちゃいというか、 過敏になりすぎて疲れませんか?しかも自分も含めてその機械の 仕組みについて何も知らないんだから怒る資格もないというか・・ 自分もあまりのコンビニ化に感染されているようですが、 機械が誤作動を起こしたとしても、時間に追われることなく、 なんの屁の河童と思いたいところですね。  外国人が日本旅行のハトバスに乗ってあまりに時間がきっちり 決められていて、ゆったりとすごせなく、二度と行きたくなくなるとか。 すこーし、全速力しすぎたようですね。  しめ。小泉さん、全速力ですね。あなたはネオリベラリストです。 小さな政府を一挙に創るとどういうことになるか、イギリスやアメリカ を見れば、分かるでしょう。ゆったりと第三の道を進んで欲しい。 
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象徴界の崩壊

 神でも王でもなんでもいいが、社会学者大澤真幸の言葉を借りれば、 第三者の審級。ラカンの理論を借りれば、象徴界。人が共通前提 にできる絶対的なよるべき秩序世界といいましょうか? 分かりやすく言えば、第三者の審級や象徴界というのは、政治や もっと分かりやすく言えば、人々が守るべきモラルや倫理でしょう。 その象徴界はそれぞれの共同体で存在し、その秩序を保ってきた。  ラカンは、想像界、象徴界、現実界に分けた。想像界とは 人間以外の生き物にも属する、文字通り、言葉を介さず、 人間で言えば、本当に身近な家族関係や恋人関係や友人関係、 モラルや倫理とは趣を異にする非常に濃密な世界観と言える。 象徴界は先に述べたように、人間にしかない、モラルや倫理の 根拠となる絶対的な第三者の世界。現実界は世界の終末や死など 非常に不条理なカオス的な世界である。  現在はこの内の象徴界が崩れ、想像界と現実界ばかりが浮き出て、 身近な恋人関係や友人関係か、現実的な世界の終末か死の方向に 思考が行きがちと言われる。資本主義社会こそ、この象徴界 の崩壊し、カオス的なものが溢れ出てくる事で、成立した社会。 その象徴的なものは貨幣である。誰であろうと何であろうと、 貨幣を介すれば、相手が誰であろうと何であろうと、物が市場を 通じて買える。ここには貨幣さえあれば、モラルや倫理など関係なく、 社会が成り立つカオス的な状況が噴出し続けている。  だが、その一方で、そのカオス的な何でもあり状況を解消する 為に、人々は新たな秩序を形作る。その秩序さえも、一時的な 人間の創作物に過ぎない秩序は不条理な出来事により、一挙に 崩壊する。それを何度も何度も繰り返してきたのが人類の歴史で、 言葉の世界故に、このカオス的な状況に耐えがたいのが人間という 種族の困難な状況である。人間以外の種族であるなら、刺激と反応。 自然に適応し、生殖行動も何もかも刺激と反応にのっとり非常に 自然に適応している。そこには残酷な面もあるであろう。だが、 それは自然な事として受け取られるので、カオス的な混乱状況は 生まれない。ただ北京原人が人間と呼べるのか、鯨の知的能力は? ここに触れるとラカンの理論では把握しきれないので、ここでは 捨象する。  もう、多くの人がこの世界はカオスである。と気づいている。 まー何でもありです。真面目くさく、社会の価値観にのっとって 生きるのは、アホくさいと思っている。さー捨ててしまえ、 一時的な混乱状況のカオスを覆い隠している一時的な社会的な 秩序にびくびくするのは。真面目くさく、一時的な社会的な価値観に どっぷりな人はカオス的な状況に触れれば、救済されるであろう。 まず、これが第一点。  しかし、カオス的な想像界、現実界の世界だけで生きるのは確かに 濃密な強度を得られるが、それだけでは、・・・人間もいつかは 滅びるようだが、どうやら、象徴界が人間の特性とも思える。 そう、言いたいのは、極端になりすぎないこと。象徴界の秩序を それが例え、一時的なものであっても、創造し続けていくこと。 秩序、秩序で固くなりすぎると、息苦しいので、たまに祝祭的な カオスを呼び出す儀式も必要であろう。それが祭り。  政治的なもの、社会的なもの、これがカオス的なものが噴出 なものを覆い隠す事ができる。この世界は複雑すぎるので、 秩序と言っても、覆いつくせるものではないが、その秩序形成 が人間のダイナミズムにとって必要かつ、極端にならずに済む、 媒介者となってくれると思うのである。

見たくない現実を見る

 非合法とされるソープランドにおける売春やパチンコの景品交換。 国も警察もそれは非合法である事はじゅうじゅう承知で、公然と 認めていると言えるであろう。自らも利用している可能性も高いし、 そのようなものがなくならない事も分かっている。  社会学者の宮台真司さんが言ういわゆるウソ社会ですね。 口では偉そうな事を言っている大人でも裏では何をやっているか 子供も情報化が進み、十分承知。  売春が非合法。パチンコの景品交換が非合法。これは市民が汚いものを 見たくないということだ。売春やパチンコだけではなく、麻薬などでも そうだが、取り締まれば取り締まるほど、逆に地下組織にもぐって行き、 裏で稼ぐ禁酒法時代のアメリカで活躍したアル・カポネのように・・ 法律をつくって、取締りを強化すれば、街は、社会は一見綺麗になった ように思われる。だが、水面下で取り締まりの手の届かないところ故に 残酷な事例が数多く起きているのだ。  社会を見て、一見綺麗に見えるが、おぞましい裏の現実を隠す社会が 良いのか?売春18?歳以上から合法化、博打合法化等することによって、 おぞましい現実を自明のものとして見るのか?今の時代の人達はどちらを 選ぶであろうか?  ところで、この国は成人の年齢が法律によってばらばらであり、 統一されていないのが問題。結婚は民法なら、男性で18歳、女性で16歳。 えー酒、タバコは20歳。運転免許が取れるのが18歳。 成人式が20歳ということになっていますが、統一性がないのが、 成人とうい儀礼を通過した気になれない。 風土的に見て、18歳が妥当というところでしょうか?  ただ、豊かな社会に生まれた為、別に成人になる必要性もなく、 まー30歳が成人式ぐらいに思っていたほうが今の世代間感覚に 合うと思います。これは昔の人より、ダメ人間に今の若者は なったということではなくて、今の若者は若者なりの過ごし方。生き方が あるということです。激動の時代ですからね。団塊の世代がどんどん 退職していって、少子化社会の若者にはチャンス到来です。

時計じかけのオレンジ

 天才監督スタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」 彼の映画の中でもこれほどまでに人間の悪性を表した映画はないで あろう。何が善き事で、何が悪き事か?もし、神というものが存在 したとしても、それは神が恣意に決めているのだら、神という視点に たったとしても、何が善で何が悪かは分からない。  ただ、時代時代によって違うのだと思うが、善悪はそれぞれの 場所、人の間であるにはある。大事な人が1人いたとしよう。 さすれば、他者にも大事な人がいると想像すれば、殺す事などできない。 突き詰めていけば、自分を承認してくれた人を殺すということは自分を 殺す事。さらには、他者にも大事な人がいるとすれば、自分の他者性 が生じる。かなり論理的な飛躍を拝借して他者を殺す事は自分を 殺害することになりかねない。  さてこの物語は先日のコラムで書いた通りの方法が使われていた(笑) その影響で書いた面がある。この映画は麻薬・暴力・盗み、暴行、 人間のけがらわしい場面ばかりが演出される。それを繰り返す グループのリーダーアレックスは仲間に裏切られ、ついに逮捕される。 何十年出て来れない懲役刑を受けたが、2年の服役後、ある心理療法を 受けさえすれば、釈放してやるという噂が広まる。その1人に見事 アレックスは選ばれた。だが、その心理療法はまだまだ実験段階で どうなるか保証できたものではなかった。その心理療法とは悪人を 善人に変えるというもの。その方法はなんと、先日のコラムで書いた ただひたすら映画を観るだけ。だが、それは過酷な映画鑑賞会であった。 何十時間もずっと機械で目をあけたままに固定し、決して目を逸らす事 もできない。ひたすら目薬をつけながら、バイオレンス映画を見せつけ られるのだ。  彼はどうにか耐えていたが、彼が1番大好きだったベートーヴェンの 交響曲第9番第4楽章が映画で流れたとき、苦痛で吐き気を催し、気を 失いかけた。いや、気を失ったか?彼が1番好きな音楽を聞きながら、 彼が今までやってきたバイオレンスな映像をひたすら見させられる。 2週間後、彼は善人?になった。何かバイオレンスな事をしようと すると吐き気を催してできなくなるのだ。その結果、彼はバイオレンスな 事ができない。  つまり、彼が悪に走らないということは彼の自己決定によるものではなく、 動物的な反応。吐き気を催すから悪に走らない。刺激と反応。パブロフの犬。 近代成熟社会、高度情報化社会、監視下社会においてはこれと似たような 事が起きつつある。情報、監視されているから、犯罪をしない、損得勘定 でしかすぎなくなる。これを哲学者の東浩紀は動物化するポストモダンと 名づけている。こうなると、監視されてない場所においては何をやっても いいことになる。逆に情報管理、監視されている社会にいると思考停止の まま生きれる。これは楽だ。動物的に何も考えず、楽な方へ流される ままにいけばいいのだ。確かにこれも生きる知恵の1つ。 だが、これは個々人の実存によるしかないですが、自ら選んで生ける 何かを持ちたいですね。

日常英会話ができなくてお悩みの方へ

 駅前留学しても、何をやってもなかなか日常英会話ができなくて お悩みの方。自分自身、文章なら英語ほんの少し分かるが、日常会話 となるとてんでダメ。日常英会話を習得する必要ないから特にこの方法は やっていないが、日本にいながらTOEIC満点とっている人やナチュラルに 英語を話している人のどうやって習得したのか!?と聴くと、同じ答えが 返って来る。実際自分の仕事場でもその方法で習得したそうだ。  その方法とは映画を観る。ただこれだけの事である。どんな映画でもいい、 自分の好きな英語でしゃべっている、字幕付きの映画を20〜30回同じ ものを何度も観るのだ。文法がどうのこうのだとか発音の細かいことなど どうでもよい。ストーリーのどのような文脈でどのような意味で英語が 発せられているか、ただただ楽しんで聴けば良い。  高額なお金を支払って英会話学校に通うと力みすぎて、どうしても 辞書や細かい発音やら気にしすぎだ。そんなことかまわず、あたかも ネイティブのように映画を観るのだ。ただそれだけでいい。 映画好きならたまらない英会話マスター法。ちなみに映画でなくとも 英語圏の低俗なテレビ番組を字幕付きで入手できる環境にある人なら尚よい。  自分は洋画も観ること多いが、この方法知ってからというもの、 時たま字幕みないで自然に理解していることもあって驚きだ。 ただ自分はしゃべる必要性に迫られていないため、そこまで何度も同じ 映画を観るモチベーションはないが、日常英会話にお悩みの方、 是非この方法お試しあれ!

笑の大学

笑の大学 スペシャル・エディションの画像  元は舞台劇として演じられていた作品を映画化した「笑の大学」主演は 役所広司・稲垣吾郎。個人的に役所広司の演技力のすごさに圧倒されている 面もあるし、お笑いも好きなので、楽しみにしていた作品でもあります。  時は昭和15年。戦争まっただ中。戦時統制が厳しくなり、表現の 自由など木っ端微塵の藻屑となった時代。戦争を知らない世代に 位置付けられる自分は体験談及び知識からあの時代を分析するしか ないが、知れば知るほど過酷な時代であった事がよく分かる。 この映画において戦争の重さについてあまり描かれていないので、 あまり事実を知らない者は笑いが半減するのではないかと思われる。  役所広司扮する1度も笑った事がないという無骨な検閲官、向坂。 それに対する稲垣吾郎扮する劇団「笑の大学」の座付き作家・椿。 笑いの分からない向坂、そして戦時下少し前まで満州で指揮をとっていた 時代を反映した男を演じる。この戦時下でお笑いをやること自体不満だらけ。 最初から笑いの劇団などつぶしてしまえという志でおった。  次々に作家が検閲官向坂の元に来るが、全て自由などの表現を用いた 個所など一部削除して許可か、あるいは、不許可ばかりであった。 向坂に対する稲垣も同様。稲垣に当たっては全てダメだと。 それは「じゅりおとろみえっと」というタイトルでしかも西洋の物語を パロディ化したものだったからだ。「大体なんだ!?このじゅりおと ろみえっととは!?」と質問する向坂に対し、椿は「それは笑いに よく使われる文字いじりの事です。どうです?面白くないですか?」と。 向坂は「まったくおかしくもなんともない。笑いなぞ、わからん!」と。 脚本は全面訂正を求められた。その後も次々にここを直せ!そこを直せ! とコミュニケーションを交わす内に次のようなことが起こる。  端から劇団公演中止を決め込んでいた向坂は椿に、お国のため、お国の ため、お国のため、という個所を脚本に入れろと無理難題をつける。 椿は次の日。お国のためをパロディ化して、お国の為に、お国の為に、 お国の為に死んできます。母親がお肉ができたよ。という。 ただその前におにく(お肉)の為なら死んでいけますとパロディ化する 主人公。殺伐とした世の中。お国のためがスローガンになっていた時代。 朝日新聞など戦争昂揚の記事を大きく書いた事で、その民衆への影響は 計り知れない。そんな時代の空気(ニューマ)の中で、お肉のため・・ 役所はこれは国をバカにしている!と怒鳴り、紙くずにして破り捨てたが、 少し気になり、もう1度その台詞を読むと周りの難いお役所の雰囲気の中で つい吹き出し笑いをしてしまう。  その後は向坂は笑いの魅力にとりつかれ、自らここはこうした方がいいの ではないか?また、劇団笑の大学の舞台を見に行き、あの座長はダメだと ダメ出しを出す始末。  笑いはある共通前提があって、それがずれる事によって笑いは生まれる。 戦時下はまさにお国のためという共通前提が国民の中にあり、そこで お肉の為というパロディをいれたらそれは笑えるだろう。  だが、現代はポストモダン化しており、それぞれがそれぞれの世界で 閉鎖しており、共通前提がなくなり、みんなが共通して笑える笑いが なく、敢えて言うならどうにかテレビがなんとか市民の共通前提と なっている中でエンタの神様のような笑いは十分面白い。 だが、日常のコミュニケーションにおいて笑いのマニアック化が進み、 深刻な笑いのディスコミュニケーションが起きてますよね。 ダウンタウンの松本などは共通前提のずれで笑いをとるというよりも 共通前提のなさを敢えて笑いにしている面がありますね。 ずらしてもむなしいだけなので、敢えてずれをずれのまま笑うみたいな。 笑うのを笑うというようなトートロジー(同語反復)でしょうか?  かなり話はずれましたが、現代でも近代成熟化・高度情報化によって 共通前提が崩壊し、笑いの自閉化は進みつつありますが、それでも ないよりよい。共通ではないが、自分の中で自明としてきたものを ちょっとずらして考えてみる、またはイメージしてみる、または 行動してみる。そこに重くなっていた自明視されていた荷物が ぱっと消えますよ。

郵政解散

 2003年に衆議院選挙があり、あ〜後4年も待たねば政権交代はないのか とやるせない気持ちでいて最近まで後2年もか〜っと思っていたら突然の 衆議院解散。政権交代のチャンスが舞い降りてきた。自分は民主党支持 ではないが、政権交代支持ではある。  政官民癒着。これに尽きる、自民党の55年体制が出来て50年も 経つ。その中で税金の無駄遣いの嵐。そのお金を媒体に1人の政治家が 1人の官僚と悪辣な信頼関係を結び、1人の政治化が1人の経済界の 大物と信頼関係を結ぶ。この無数の人と人との貸し借りの関係が50年も 続けば、それは税金を遊興費に使おうと、談合にも目をつぶらざるを えない。政治家にも官僚にも経済人にもそれぞれ負い目もあるからだ。 政治というとそういうものがあるかのように見えるが、やはりフィクション で、その中で無尽蔵の人間関係がある。所詮一人間がやる事であるからだ。  郵政民営化は賛成できるところもあるが、議論が甘い。結局郵貯は 国の保護下に置かれ、NTTのように独占化する恐れもあり、またまた 〜特殊法人が出来、官僚の天下り先になるにすぎなくなる。  何故そうなるか?上記に述べた通り、50年のどろどろした人間関係 の貸し借りがあるからだ。その為、官僚の無駄遣い予算にもメスを 得る事ができない。ある経済学者は今の国家予算の半分で本当は運営 できると分析している。50年の人間関係さっぱり断ち切れば、 官僚の予算にもメスを入れやすくなる。岡田民主党党首は記者クラブ制度 廃止を宣言し、自ら実行もしているので、閉鎖されたマスコミにも 風穴が空く事であろう。  ただ残念ながら市民がそうであるように、政治家も民度が低い。 だから今の選挙制度の元では、質の低いものが生まれかねない。 イギリスでやっているような党の幹部が優秀な人間には楽に当選できる 選挙区へ、不勉強な人間には難しい選挙区へという制度に変えた方が 良い。大体日本の政治家は不勉強だ。それは選挙の為に、地元にかけつけて アピールし続けなければならないので、必然的に勉強する暇もなく、 能力が下がるのもやむをえまい。その点、能力がある人間に 楽な選挙区に行かせてあげるのならば、選挙だけにエネルギー奪われる 事なく、能力向上、政策立案、政治に専念できる。  政権が変わった利点は政官民癒着が断ち切れる事ぐらいだ。 それだけでも大きいことなので、自分は祭り気分だが・・笑 だが、政権交代したとしても選挙制度の改革、外交問題等々山積みなので、 楽観はできないが、とりあえずは、小泉さんの反対派におびえず、 異例の解散をした事に皮肉を込めて敬意を示そう。

THE LAKESIDE MURDER CASE

レイクサイド マーダーケースの画像  映画「ユリイカ」でカンヌでも賞を受賞した青山真治監督の 「THE LAKESIDE MURDER CASE」 この映画はサスペンスで謎が次々に解きあかさていくスリリングなストーリー なので、ネタバレするとこの映画を観た時の面白さは半減以上するので、 この映画を十二分に楽しみたい方はここからは読まないようが良いです。  もう邦画界では巨匠とも言える役所広司主演。さらに役所とよくコンビを 組む柄本明。さらに豊川悦司と。自分がリスペクトする俳優、監督でしたので、 拝見しました。  愛人を持つ主人公の役所扮する並木俊介はどうにか家族崩壊を止めようと 子供の舞華の受験の為に修文館中学受験の合宿に参加する。合宿中は どうにか仲の良い夫婦を演じようとしていた。妻美菜子の中学受験に 批判的な並木俊介は舞華に別に受験なんかしなくてもいいんだぞ。と 自由奔放な事を述べるが、私はだいじょうぶ、と笑顔に答える舞華。 舞華には夫婦の仲、受験の無意味さなど全て分かっているかのようである。 舞華の他の二人の受験の合宿に参加する二人の子供とともに虫を笑顔で 踏み潰して殺しているシーンが印象的だ。  豊川悦司演じる合宿の先生の指導の元体力づくりから勉強から礼儀作法 まで息苦しくなるぐらい合宿は続く。そんな中並木俊介の愛人が訪ねて 来る事から事件は始まる。彼女は愛人であるばかりか、なんと修文館中学 出身であった。そして中退経験もある。先生もまた修文館出身。こんな 受験勉強など指導しても無意味と深い虚無感を感じつつ指導をしている。 そんな彼女に先生は試験問題を金で取引しているシーンを写真で撮られ 先生は脅される。  その夜、愛人に電話で呼ばれた並木俊介は正気か?と思いつつ彼女がいる ホテルに向かおうとするが、やはり途中で引き返す。だが、引き返して みるととんでもないことが起きていた。並木俊介の愛人が死んでいたのだ。 しかも殺したのは妻の美菜子だという。このことがばれたら、受験は台無し になると、事件を必死で隠そうと死体を湖に棄て、なかったことにしようと 各家族は必死。人が死んだのに、たかが受験の為にそこまで必死になる 並木俊介はただただみんなが分からなかった。警察にも通報しようとしたが。  ある時、並木は愛人が撮った写真を発見。これは先生が殺したのではないか? と勘ぐる。そしてみんなの前で詰問。沈黙する受験する子供の両親達。 先生は否定し、みんなも並木俊介にも事実を知ってもらおうと話す。 殺したのはなんと、子供らしいのだ。実は殺した現場は部屋ではなく、 森の中であった。確かに爪に土の跡があったのだ。脅された先生は 愛人に森の中に呼ばれていたが、それよりも前に子供が殺したらしい。 その証拠に無数の子供の足跡が残っていた。どの子が殺したか分からないし、 もしかしたら3人が一緒に殺したかもしれない。 並木は義理であるが、娘の舞華が殺したかもしれないと唖然とする。 ・・・その後議論する親達。たとえこんなことを犯しても、子供の事を 理解しようと努力すべきじゃないか!?と絶叫する並木だが、それに 対して、いくら努力しようとしても子供の気持ちなんて理解できないんだよと。 柄本扮する医者は泣きながら言う。そして、お前は義理の子供だからわからない んだ。お前も本当の親になれ!と言う。  絶望の中・・・映画は終わる。さて、これは映画だ。映画はこれで 終わったが、我々はこれをベースに先に進める。 親がレールを敷く事。そして受験地獄に追いやると自立心、人間性が 剥奪され、ちょっと邪魔だなと思ったら簡単に人を殺してしまう子供。 自分は自己決定権能力を持ったのびのびとした子供が育って欲しいと 思っているので、強制的な受験はもちろん反対で、子供の事を考えるの なら、無数のレールを見せてあげてそれを選ばしていけば良い。 そのうちわざわざ見せてあげなくても自分でレールも創れるようになる。  さて、今回はおおざっぱにコラムの結論を終わります。みなさんは この映画を観てどう思われましたか?
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