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VISUALBUM

HITOSI MATUMOTO VISUALBUM Vol. (ぶどう)“安心”の画像  この『VISUALBUM』という作品は松本人志撮り下ろしのコント作品 である。レンタルビデオ店に行けばあるだろう。 社会システム内で生きている人はこの世の中が分かった気でいる。 しかし、その社会の外には果てしない世界というものがある。 そこに笑いというものも含まれる。お笑いによって自分は救われた 面が多々ある。受験勉強時や思春期の何のために自分は生きているのか? 等の深刻の悩みの中でダウンタウンの『ごっつええ感じ』などを 見て救われた。お笑いで人を救うこともあるのだと感じた。  『ごっつええ感じ』がトラブルで終焉を迎え、松本が渾身の思いを 込めて創った作品がこの『VISUALBUM』志村けんさんのような笑いは 確かに分かりやすくていいが、今は高度成熟期に入り、個々がばらばら になった時代では、とても志村けんさんの笑いが癒しにつながる可能性 は低い。松本の笑いはマニアックでついていけない人もいるだろう。  松本はお笑いとは『下の立場から上の立場のものを笑う』のが笑いの 基本であると述べていた。今の時代では何が上で何が下かも分からない 不透明な時代である。そこを天才松本は絶妙なバランスでその上下を 見分けて笑いをとっていると思われる。ある時は上になったり、ある 時は下になったりと。  この作品でお勧めはたくさんあるが、やはり『システムキッチン』 となろう。これは大筋だけのストーリーは決めておいて、後は 松本と浜田のフリートーク(アドリブ)でできている。 訳の分からない不動産屋のおっちゃんとただただ部屋を探しに来た 浜田のストーリー。エンディングもどこで終わるか決めてなかった ぐらいの緊張感のありようだ。1度見ただけではその笑いの深さに 気づかないかもしれない。2度、3度見たときにおかしくてしかた なくなる。松本の笑いは鬱状態でも笑えるのが特徴で、それはこの 深さに関係していると思われる。  人生に笑いは必要。立川談志の落語も聴いて見たが、江戸時代の話 とは言え、ライブ形式なので、絶妙な笑いをとらえている。  松本、立川談志クラスになると、芸術家の粋に入ると思われる。 それであるのに、自分は彼らの言った面白いことをわざわざメモって 暗記していた時があった。結果はそれを言っても受けるわけがない。 芸術的センス、時代を読むセンスの中でそれを言っているのだから。  そこまでの芸術的センスにはならなくとも日常に笑いは転げ落ちている。 自分の人生なんて、だめなんだと思っている人がいるならば、 それをコント仕立てにして脚本をかいてみるとよい。 結構笑えたりする箇所があるならば、しめたものである。 人生寸陰矢の如し。肩の力を抜いて笑いとともに生きたいもの である。  ただ無理に笑おうとするとだめで、自然に出てくる笑いが最も ベスト。らく〜にらく〜に物事とらえていると自然に笑いがそこに ある。
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UNloved

 恋愛映画はあまりお勧めできるものがないが、この『UNloved』だけは お勧めできる。かなり現実に近い形で恋愛を描いているからだ。 主人公の光子は30歳過ぎの平凡な市役所勤めの女性。生活も地味で あるが、本人は自分に合った生活に満足していた。そんな中、エリート ビジネスマンの勝野に仕事上で度々会い、付き合うようになった。 勝野は光子に夢中になっていたが、あくまで自分のペースで光子に 接した。光子に派手なドレスを着せたり派手なお店に連れて行ったり。 自分には合わないそんな生活にはっきりきっぱりと光子は勝野に 別れを告げる。勝野にはよく分からなかった。何でも与えてやったのに ・・・と。  そんな中アパート下にたまたま引っ越してきた下川と出会う。全く ぱっとしないフリーター。しゃべり方もたどたどしい。頼りない。 ただそんな下川に光子は今の自分のままで接せれる相手に出会えたと 感じる。仕事場でもぱっとしない下川だが、ある仕事場の女性に告白 するものの、すぐ断られ仕事も辞める。そんな中でなんとなく下川の 方は光子と付き合いはじめる。  付き合う日々の中で勝野がまた突然現れ、光子に迫る。下川は 気が弱いので、すぐさま引き下がろうとするが、光子は一緒に話を 聞いてとさとす。下川は何故エリートビジネスマンである勝野ではなく 自分を選んだのかすこぶる疑問であった。 仕事も辞め、何もすることがない下川は勝野を意識してか、俺、 オーディションでも受けて俳優にでもなろうかなあっと夢を光子に 話す。しかし、すぐさま「あなた馬鹿じゃないの?自分に合わない事 をして何になるの?どうして今の自分に満足できないの?」とこれまた きっぱり言い放つ。下川もさすがに怒り、「俺だって夢もったって いいじゃないか!」と怒る。  下川はふと勝野の元へ訪れる。そこでコテンパンに勝野に言いやられる。 あげくの果ては、お前をうちの社員にしてやるから今度面接に来いという 誘いに、プライド捨てて乗ってしまう次第・・・ だが、すぐさま勝野はあの面接の件は嘘だと言い放つ。  ラストシーンはすごい。光子と下川の大口喧嘩。はっきりきっぱり言う 光子とたどたどしいがはっきり言いたい事言う下川とのやり取りは すごいものがあった。下川は「お前は自分の事しか考えられない女なんだ。 本当は寂しいくせに・・・我慢しやがって・・お前は相手にされない そういう女なんだ・・」と言い放つほどだ。崩れ落ちる光子・・・ 去る下川。。そして早朝、下川は光子のところに行き、「今度は 僕が君を選ぶ番だ・・」と言い放ちラスト。  社会のシステムにうまくのっかれない、社会システム外に存在する 下川は勝野という社会システムにのれるものにあこがれるが、どうしても それは自分に合ってはいなかった。何もなくても自分に満足している 光子を理解できなかった。社会システムでうまく生きれている人間という のは、換言すれば、社会システムという下駄を履いて、自分に自信を 持っているに過ぎない。その下駄を脱いだ素の自分には自信を持っていない。 社会システムという下駄をはかずに、自信を持つことが下川に徐々に できたように思われる。それにいたったのは社会システムにすがったり、 やめたりした試行錯誤の末だ。失敗なくして自信を得ることもない。  この映画は非常に変である。光子と勝野のセリフは棒読みだし、 下川は、何を言っているのか分からない。だが、そこにこの監督の 試みがあったと思われる。不自然な感じにすることによってあるメッセー ジを言葉にできないように刻印できた作品だと思う。

憲法改正

 憲法改正という言葉をよく耳にするようになった。護憲か改憲かの 時代ではない。思考停止状態で護憲護憲と叫んでいた社会党系の人々 でさえ、改憲。欧米では、憲法改正は何度もやっている国もある。 日本では未だゼロ。大日本国憲法から日本国憲法へ改正という事に なってはいるものの、それは手続き上そうしたに過ぎず、真はまったく 別種のものである。本当の護憲ならこそ、憲法は生き物であるから 改正してその時代に合わせた憲法にしていくのが真の護憲派だと 思う。  憲法改正は事実上なされてはいないが、統治権力による恣意的な 解釈で何度も実質上なされてきた。自衛隊自体違憲で、さらに サマワに自衛隊まで派遣する自体があるとはなんたる統治権力の 暴走。何度も書いているが、憲法は統治権力が操るものではなく、 市民が統治権力の暴走を抑えるもの。  ヒトラーが暴走していた当時第一次世界大戦の大きな被害により ヨーロッパは平和主義にあふれていた。ただただ平和、平和と叫んで いるうちにヒトラー率いるナチスドイツは無抵抗な平和主義者の国を 侵略。交渉だけで、占領できたことさえあった。 戦争はなくなってほしい。だが、世の中平和主義者ばかりではない。 暴走するものもいる。そうしたとき、平和、平和とただ叫んでいる だけなら、侵略されて、さあおしまい。  それならば、軍隊として憲法に自衛隊を明記する必要がある。 だが、それは侵略のためではなく、他国の暴走を止める為である。 憲法に自衛隊を海外に派遣する場合、国連の決議を必要とする旨を 書けば、アメリカ追従外交からも逃れられる。我々日本国は侵略する 戦争は認めていないため、憲法によって自衛隊派遣を拒否します、と 胸をはって言える。  鳩山憲法試案を少し見てみたが、今の政治家はだめだと思いきや、 なかなかリベラルな憲法となっていて驚いた。ここ50年も政権交代 なかったので、それは政治が腐敗したように見えるのも仕方のないこと だ。鈴木宗男は評判が悪いが、あれは日本の高度経済成長の典型的な 姿。中央集権的な再配分制度による社会主義的な政策によって、 日本は環境を壊しつつ高度成熟社会となったのだ。 鈴木宗男なる政治家はいまや、時代遅れだが、あれが普通だった時代 もあった。  確かに日本の政治家のレベルは低いかもしれないが、我々、市民は さらに思考停止となっている。これは日本の教育制度に問題がある。 日本人の気質でよいところはお祭り好き体質。熱しやすく冷めやすい 国民。自分もフィーバーに乗っていた小泉人気はどこへやら。 人は熱しやすく冷めやすい。それは当たり前の事だが、ある一貫した 実存を個々に持ちたいものである。

息子の部屋

息子の部屋 ~カンヌ受賞記念版~の画像  カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞した『息子の部屋』 事故で息子を失ってしまった精神分析医の苦悩の物語である。 日曜日いつものようにジョギングに息子を誘っていた。 しかし、その日突然往診の仕事が入り、息子とジョギングに行けなくなる。 その日、息子は潜水の事故で死亡する。  父親はあの時仕事を断り、息子とジョギングに行ってさえいれば、 息子が死ぬ事などなかったのに・・・と自分を悔いる。 この種の自分の責め方は分かる。だが、反実仮想、もしジョギングに一緒に 行っていたとしても息子は別の事故にあったかもしれない。 さらに父親がジョギングに誘わなかったのと息子が事故で死んだことには 何ら因果関係はない。事故というのは全くもって偶発性のものであり、 非合理な世界のおそろしさ、深さを垣間見させる。偶然の事故は我々の 支配領域外にある、なにかでかい世界なのだ。まさに社会ではなく世界が そこに佇んでいる。  ある日息子の部屋を調べると恋人がいたことが発覚した。父親は全く 知らなかった。連絡を取り、その女性と会う。気立てのよい娘であった。 数ヵ月後、息子の元恋人に彼氏が出来た事を知る。なんの因果か、その カップル二人と共に父親家族は旅行へと出かける。  旅行の終わり息子の元恋人だった娘カップルを見ながら、父は思う。 息子は失ったが、また新たな彼女の関係性が生まれたのだと。 そして、息子は失ったことは自分のせいではなく、人間ごときでは どうにもできない世界の出来事であると。 父の心は静まっていった。

監視下社会

 9.11テロ以降のアメリカの行動。アフガン戦争はどうにか納得 行くにしても、それをイラクと結びつけてしまったのは、アメリカの 9.11によるトラウマが起因していると思われる。政治は戦略的に やらなければいけないのだが、被害者と一緒になって感情的になって ムスリム的な人種をすぐさまテロを起こす犯罪者とみなし、短絡的な 行動をとるのはまずい。ご存知のとおり、9.11テロとイラクは なんの関係もない。映画『華氏9.11』をご覧になるといい。  社会には不安ベースの社会と信頼ベースの社会がある。アメリカは 不安ベースの社会である。これはキリスト教的な背景等様々あるのだが、 不安であるがゆえに、監視社会の方向に行かざるをえない。人を信頼 できず、システムしか信頼できない社会だ。アメリカは清教徒が創った 国なので、神に対する信頼があるので、流動化に耐えられる。 それ故に、難民の受け入れ等、異質な存在に対する寛容さはある。 しかし、いわゆる宗教的寛容さは率直に言ってない。 宗教戦争に懲りたヨーロッパでは宗教的寛容さなるものを 合意したが、それはカトリックとプロテスタントの価値対立を やめようという話に過ぎない。それ以外のイスラム教などに 対する宗教的寛容さは著しく低い。便利・合理的なものを是とする アメリカでは、イスラムのような一日中お祈りばかりやっているような 人間が異質なものとしてみえ、いや、異常なものととれてしまうのだ。  一方日本はどうだろうか?異質なものに対して耐えうるであろうか? 政府の難民対策に見られるようにとても外国人を受け入れる体制は 整っていない。日本はある特定の宗教でまとまっている国ではなく、 かといって天皇を中心とした国家でもなく、なんとも中心のない 国となっている。だから様々な異質なものが入ってくるとびびる。 怖い。そうなると不安ベースな社会となる。何かあると監視カメラを つけろ!の社会になる。そこには顔が見えるコミュニケーションが 必要とされない。簡単に言えば昔あった地元商店街的なアメニティのよう なある種不便だが、顔が知っている同士だから特に監視カメラなどつけ なくても信頼できる社会となる。  監視社会が進めば進むほど人に対する疑心暗鬼はひどくなる。 監視下するアメリカか欧米のようなスローフード的な不便でも その固有の文化を尊重するかが問われる。  自分は信頼ベースを軸とした社会を望む。監視社会にも限界が あるからだ。いくら性犯罪者にGPS機能がついたチップをつけたとして もそれは一時的な感情が抑制できるにしても、家庭内の幼児虐待による 被害の方が圧倒的に多く、そちらのほうが深刻だ。 感情的にならず、監視下する社会を考えたいものだ。
プロフィール

Author:まさみ
ブログはこちら一本でやっていくことにします。

パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
⊂⌒っ*-ω-)っ

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