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未履修〜。

 今更ながら高校における未履修問題。だけど大した問題じゃない。 受験に不利な授業は内職or部活に備えて睡眠が常識でしょう。 昨今の脳トレブームは少し危惧。脳のある種の部分を活性化させれば 人間的にOK!レベルアップしてるぜ!的な雰囲気に危惧。 トンデモ話気味で申し訳ないが、脳も大事だけど脳的なシステムより、 心が大事とも言いたい。心が大事とかいって、イイ人ぶって自分気持ち 悪いが。ただ「心のトレーニングDS」なんて、発売されたら買いたく ないでしょう?興味本位で買う人もいると思いますが。  話が急に戻って、未履修問題。ゴール?に問題あり。大学入試問題。 年号覚える教育って。。それやってたら、それは時間かかりますって。 日本史も明治時代で終わり。ほぼ年号と出来事の名前を覚えるだけで 内容というかコンテキストが分からないので、時代の時系列が 文脈から推測できない。読み、書き、そろばん?も暗記の一種で、 ある種型として、初等教育においては必要なのは頷ける。 ただ、それをいつまでも続けるだけなら、時間が多大にかかる。 浪費とまでは実は言わない(ある種の忍耐力的なものはつく)が、 暗記ばかりでそれ以外の生活力が身につく場面がなくなり、社会に 出てから免疫がなくなる。  欧米の例をとってしまうが、入試問題に鍵がある。入試問題に 答えの出ない問題。例えば環境問題と産業化社会は両立するか? とか、太平洋戦争に何故日本は負けたのか?とか、戦後民主主義は 民主主義足りえたか?等の入試問題出せば、暗記に費やす教育 システムは少なくともなくなるだろう。答えのない問題なので、 理想を言えば、その人しかない回答であるから。だけどゼミナールなどで また、こういう問題が出るからこういう文章を書け!と丸暗記する 人々も出てくると思いますが、これも現状よりはましかと。  学校教育から大分ご無沙汰にしている自分が書いた妄想論でした。
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学力低下

 高校生の意識調査の報道を見た。諸外国と比べてイイ大学に入れど もそこに幸せはないと感じている高校生が多いようだ。確かにイイ大学 に入ってイイ会社に入れば幸せが築けるという標語は、自分の感覚から しても古代エジプト文明のピラミッドに書いてあるようなほど古臭く 感じられる。この報道にどんな意図があるのだとすれば、これまた 学力低下=国力低下を嘆く報道と取るべきなのか、高度成熟社会に おいては幸せとは天文学的に多様になっていると取るべきなのか? 難しいが、後者の意識で報道してるならば、事実認識として正しい 気がする。自分には統計学的知識及び資金もないので、気がする としかかけないのが悲しいところだが・・・(苦笑)  お勉強ができることが必要とされる時代にはそれは学力も上がり、 物を持つ体力が必要とされる時代には体育能力もそれは上がる。 低下していようとそれが必要とされていない時代においてはいくら 学力低下を嘆いても仕方がない。ちょっとずれるが、団塊の世代の 親を持つ自分の両親はイイ大学に入れば幸せが待っていると 未だに持っている。しかし、団塊の世代ジュニアの我々の時代と なると分岐点。その後の世代はあくまで子供はお勉強しても イイ人生が待っているとはとてもじゃないが、思わないだろう。 生霊のような上記の標語を未だに信じている経済的に中流より上、 もしくは上流家庭の親が学力向上に未だに勤しむ。彼ら親達も どこか虚しいと感じつつ・・・辛いのは子供の方で、彼らは お勉強は無意味だと思いつつ、親の顔色を伺って無理やり勉学に 勤しんでやっている。っと推測。  自分らの世代団塊ジュニア世代辺りが一番厄介で、ちょっと お勉強ができれば高すぎるプライドを持ち、実社会では全く 役に立たないのをひきずる人達を数多く見ている。自分自身も そうで、中流私立大学に入ったぐらいで変な高いプライドを 持ち、実社会では非常に傷つきやすい立場に置かれた事が あったものだ。  教育は難しく、学力だけで計測可能なものではないのは言うまで もないだろう。そして教育は極端に言えばある偏ったイデオロギーを 子供に植え付けるものだ。どう生きる知恵を身につけさせるか? 欧州的な教育では子供時代には不自由なイデオロギーを植え付け、 大人になったら自己責任で自由に振舞ってもよいという モチーフを用いる。日本にとって何が良き事なのか? いじめの起き易いクラス制度を廃止し、小学校から大学のような 授業選択性にして、勉強したい奴はそれこそ、小学校の時点から 法律・経済・物理学を勉強する奴がいてもいいし、そっちは どうでもいいから、やりたくない奴にはいつでもまた勉強する 機会があってもいいように、無料の教育チケットを与えてもいいかも しれない。1つの学校に所属するのではなく、選択的に一週間で 様々な学校で勉強しているのもよいかもしれない。あるいは 勉強などしたくないものはしなくてもいい。だが、読み書き・計算という 型ですね。野球のピッチャーも型がないと投げれないようにある種の 基礎的な型ぐらいの不自由さはおしつけてもいいかもしれない。  理想・推測だらけのコラムじゃないか。これが団塊ジュニア世代 の限界です(笑)

This is a pen.

 公立の小学校でも英語教育導入の話が出ているので、英語のコラム。 中学、高校と6年も英語習ってきたのに英会話全くしゃべれないと 嘆く話はよく聞きます。これは当然で、明治維新以降西欧の文物を 読解する能力が求められ、会話することよりも、読解力が求められた のがその一要因。さらに、戦後GHQの戦略ともとれる日本人が 英語を自由に話せるようになり、国際社会で再び大国に君臨する事を 恐れたアメリカが日本人に英語をしゃべれなくさせるために、あのよう な英語教育になったというのも一説だがあります。アメリカは日本人 めちゃ恐れていたみたいだし。  さて、This is a pen.今はどうか、分からないですが、自分の世代は まずこれから習う。しかし、この表現は相手に失礼に当たるようです。 定冠詞の『a』は曖昧な表現を表しているので、This is a pen.というと お前はこれがペンと知らないかも知れないが、教えてやるよ!的な ニュアンスになるそうです。This is the pen.なら定冠詞の『the』 は『a』とは対照的にスポットライトが当てられており、明確。 あなたもご存知だと思いますが、これはペンだ!と言っていて 意味不明だけど失礼には当たらない訳です。この『a』と『the』の ニュアンスの違いから勉強すると文化の違いが分かっていいのでは と思ってます。もっとも、小学校でここまでは教えなくていいとは 思いますが。後はただいま〜♪は英語では『I'm home〜♪』ですから 俺は家にいる!がただいま〜♪なんですから、文化自体が違うのが 痛感させられますよね。  余談でお笑い芸人がI'm a boy.俺は男。上の例でいくと私は男 かもしれないみたいなニュアンスになりますが・・(笑) よく文法を意味なく疑問形にさせられたじゃないですか? だからAm I a boy?っと私は男??ってお笑いで使ってるの見て めちゃ笑いました。  話がそれたので、小学生への英語教育導入ですが、まずは 日本語を学んでから文章をかけるようになってから導入した 方がいいのでは?という慎重意見もあるようですが、コミュニケーション スキルを上げる目的で導入するなら賛成です。 英会話しゃべれるうんぬんよりも、ネイティブの英語をしゃべる人は 表情からボディランゲージから全然日本の会話とは違うわけです。 日本語もいいところ沢山あるわけで、そこも残しつつ、言語は忘れて、 表情やボディランゲージ、できれば喧嘩の作法含めてコミュニケーション を子供のうちから学んでおくことは重要だと思っています。

日常英会話ができなくてお悩みの方へ

 駅前留学しても、何をやってもなかなか日常英会話ができなくて お悩みの方。自分自身、文章なら英語ほんの少し分かるが、日常会話 となるとてんでダメ。日常英会話を習得する必要ないから特にこの方法は やっていないが、日本にいながらTOEIC満点とっている人やナチュラルに 英語を話している人のどうやって習得したのか!?と聴くと、同じ答えが 返って来る。実際自分の仕事場でもその方法で習得したそうだ。  その方法とは映画を観る。ただこれだけの事である。どんな映画でもいい、 自分の好きな英語でしゃべっている、字幕付きの映画を20〜30回同じ ものを何度も観るのだ。文法がどうのこうのだとか発音の細かいことなど どうでもよい。ストーリーのどのような文脈でどのような意味で英語が 発せられているか、ただただ楽しんで聴けば良い。  高額なお金を支払って英会話学校に通うと力みすぎて、どうしても 辞書や細かい発音やら気にしすぎだ。そんなことかまわず、あたかも ネイティブのように映画を観るのだ。ただそれだけでいい。 映画好きならたまらない英会話マスター法。ちなみに映画でなくとも 英語圏の低俗なテレビ番組を字幕付きで入手できる環境にある人なら尚よい。  自分は洋画も観ること多いが、この方法知ってからというもの、 時たま字幕みないで自然に理解していることもあって驚きだ。 ただ自分はしゃべる必要性に迫られていないため、そこまで何度も同じ 映画を観るモチベーションはないが、日常英会話にお悩みの方、 是非この方法お試しあれ!

教育の本義

痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracyの画像  何かの問題について考える時、明確な答えが義務教育のテストのように 帰って来る方が果たしていいのでしょうか?もしくは、あいまいなまま 自分で思考錯誤して、自分はこうだ!と思うと判断して問題に対処する 方が良いのでしょうか?  212回目の今回のマル激トーク・オン・デマンドにはなんと宮台真司 さんの師匠である小室直樹先生が出演した。しゃべる小室直樹先生を見るの は始めてだったので、大興奮してしまいました。昭和7年生まれですので、 かなりの高齢ですが、言っている内容は含蓄がありすぎるものでした。 憲法改正問題について、9条の2項の武力を持たないという条文はパンチ があるので、憲法を改正すると外国には見せつつ、実際には改正しない 戦略を取るのが良いという非常に目からうろこ的な意見も聞けた。 このような戦略を取ることにより、日本の再軍備に歯止めがかかるという 論法だ。実際には武力を持っているが、持っていないと条文にかくことで あいまいにし、結局軍事力を最小限に抑えられる戦略である。 このような戦略的な思考が出来る政治家や学者などめったにいない。  さて、戦略的な思考をするためにはどうすればよいのか?それは今回観た マル激トーク・オン・デマンドが非常に参考になった。小室先生は 質問してもオーソドックスな答えしか返してくれず、後は自分で考えてください というようなスタイルを取っている。ここが大事だと非常に感じた。 無からでは思考のできようもない。だからこそ、権威ある人にオーソドックス で基本的な答えは教えてもらう。だが、そこから先は自分で考えろ!と いうスタイルである。  一方、自分自身は明確な答えを与えてくれる人のおかげで救われた体験が 何回もある。だが、そういう時期というのは自分自身が全く持って思考も できないような精神状態に追い込まれていたからこそ、効果があった。 だから、明確な答えが与えられる事も時には良い。だが、ある程度 心の安定が保たれている状態になったら、明確な答えとも言えるオーソドックス な思考を基本に自分で応用して考えていかなければ、新しい発想、もしくは 明確な答えを与えてくれる人が途絶えた場合、未来はなくなる。 思考錯誤は大事である一方基本を教えられる事も重要。 基本とはどこまでか?という難しい問題もある。 この曖昧模糊とした状態の中で基本的と思われる思考を軸に応用できるかが 鍵である。基本を元に思考錯誤させてくれる状況こそ、教育の本義と 自分は感じる。
プロフィール

Author:まさみ
ブログはこちら一本でやっていくことにします。

パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
⊂⌒っ*-ω-)っ

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