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14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

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 「14歳からの社会学」とは名ばかり平易に書かれた文章とはいえ
内容は最先端の社会学の内容が網羅されている。
社会学者の宮台真司の真骨頂の著作と言える。
難解な内容を14歳に向けて伝える事ができる知識人は恐ろしく少ない。

 現代は不透明な時代と言われる。
人と人とのつながりが益々希薄になり、
情報過多により、何が大切か見えにくくなっている時代、
自分の頭で考える事が益々重要になる。
反面、自分の頭で考えるには他者との接触の中でしか生まれない。

 心を理解するには人を見るだけでは足りない。
社会、世界も視野に入れてこそ、人を理解できる。

 この著作は宮台真司氏の不透明な時代に生きる子供達へ
あてた愛情あふれる著作である。
もちろん我々大人にとっても子供達以上に有意義となる名著である。

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保守主義

 保守主義と言っても、時代の趨勢と共にその意味は 変わりゆくものであり、保守が右翼的なものと混同 されたり、天皇主義者と混同されたり、歌舞伎や能を 守る単なる伝統主義者と混同される。自分などは 朝まで生テレビでお馴染みだった西部邁氏を筆頭に 保守とは伝統を守り続けるだけの変革を好まない 分からずやのイメージがあった。だが、西部氏が 保守するものとは形あるものではない。天皇・ 日の丸・君が代・歌舞伎・能等々そのような実態の あるものを守ろうとすることではないと語る。  最近は日本人は飽きやすいので、ネット右翼的なものも かっこ悪いと分かったのか、減っている傾向にあるが、 国家を実態のあるものとし、愛情の対象にするとは 持ってのほか。江藤淳は「時代が変われば人も変わり ますが、それは人が変わらないからです。」と 言った。世の中は変動するのは当たり前の事。 だが、その変動に合わせて人も適応する。 何故適応できるのか?そこに西部氏の保守主義が 見え隠れしないでもない。  西部氏は初期ギリシャの哲人達が始終「真・善・美」に ついて考え続けていた事につけて、世の中は一筋縄 ではいかないという事を示していると語る。 世の摂理は人智を越え、自然科学、社会科学は仮説に 基づいてしか理論を進めて行く事はできない。 仮説に基づいてしか思考できない理由は言うまでもなく、 世の中は不条理であるから。  しかし、世の中は一筋縄でいかないからこそ、 人から人への知恵の伝達こそが保守であるとおっしゃる。 時代状況は変わったとしても知恵の伝承ができていれ ば、人は不条理の世界に対し、どうにか生きれる。 自分も様々な方の知恵を伝承させて頂いています。 その知恵は初期ギリシャ時代、いやもっと遡る 知恵なのかもしれません。

宮台思想塾

 4月23日午後3時〜午後6時まで、三省堂神保町本店で、公開 宮台思想塾を拝聴してきました。この思想塾は首都大学東京の夜間の 宮台ゼミが開けなくなり、幅広い年齢層、肩書きにとらわれない 年齢層の人達に対して、ゼミを開けなくなったところ、宮台氏が 設立したものだ。宮台氏のターゲット層は社会学的にかなりのレベル の高いものを要求しており、自分などは参加するのも憚れるので、 せめて、宮台氏の出してきた予習や参考映画ぐらいは観て参加しました。  ゲストにフリーライターで有名な藤井誠二氏、社会学者の浅野智彦氏 を迎え、宮台ゼミからは鈴木弘輝氏、堀内進之介氏の若者をテーマに した公開議論を観る事ができた。観客は約90名。9割以上が男性。 年齢は幅広かったが、首都大学東京の学生や他大学の学生など、 学生が多い印象であった。たまたま団塊の世代批判をやっていたので、 あくまでたまたまというところが重要、団塊の世代らしきおっちゃんの 様子を自分は観たりしていた。  普段のゼミより、公開なので、分かりやすく話してくれたので、 表層的な部分は理解できましたが、理論の部分になると全く部外者的な 存在になりますね、自分は。ハーバマス、ルーマン、レッシグ辺りは 必須になってきてしまう><ただ改めてよく分かったのは、いくら 理論的に理解できようとも、理論は仮説に過ぎず、妄想といっても おかしくないこと。一歩、はずれれば病的となる。常に自分の立ち位置は 学問上においては仮説に過ぎないと意識し続けないと、まずいことに なる。全て仮説なので、そうとも言えますとなんでも自分の意見を はっきりさせないと、議論ができなくなる。仮説と分かりつつ、自分の 立場をはっきりさせないと全く実りのない議論となる。  素人の自分ですが、完全に仮説と思わず、理論的には正しいのだが、 妄想走っちゃっている学者沢山見受けます。

ネットの恣意性

 グーグルに代表される検索エンジン。あのアーキテクチャーは サイトのヒット数で上位にサイトが表示されるわけではなく、 グーグル側の恣意的なものによって決めているそうだ。 狂牛病で検索したとしてもヒット数が高いものがトップで 表示されるかといえば、その可能性もあるが、そうでもない 場合もある。つまり、ネットを構築している建築者達にしか、 このブログもmixiに代表されるようなSNSも検索エンジンも 実際にどう構築しているかは専門建築者達自身にしか分からず、 敢えて言えば、彼らなしにはアーキテクチャーを理解し得ない 我々一般ネットユーザーは、彼らにシステムを委ねる他ない。 つまり、ネット構築者に我々はいかようにも支配されている ということ。  去年9月の衆議院総選挙に見られた、郵政民営化批判を行う ブログ等に荒らしともとれる大量の批判書き込みが寄せられ、 ブログを閉鎖せざるを得ない状況もあったようだ。 この時、その大量の書き込みをしたのは誰かは分からない。 自民党がアルバイトを雇って書き込みさせたという説も あるが、これは風説の流布(笑)に当たるので、置いておいて、 本当にネット上に存在するデータベースは匿名性に満ち溢れている。 こうやって、俺(ジョン)がブログを書いていたとしても、 本当にジョンが書いているのかは完全に証明するのは難しい。 SNSでのコミュニケーションも一体こいつは存在するのか? と思う事しばしばである。撹乱されるサイバーネット界において、 ゲームを創っているネット構築者のゲームの上で踊らされて いるともいえかねない。  匿名がネットの強みであったはずが、2ちゃんねるバッシングで 徐々に個々にHNや一人一人がブログを持つことである程度誰で あるか?は固定したかに見えるが、これもネット構築者の恣意的関与 によって瓦解しかねない。ネットのシステムが高度化すればする程 我々が土俵の上に上げてもらえないので、どのようなアーキテクチャー か情報提供して欲しいのだが、そこはネット建築者には 難しいのだろうか。建物作る建築家にはそのような公共財という 考えを持っていて、一般人には技術を分かるように教えることは できないが、評判であの建築家はいい!とまさに共同体的な作法で 教えてくれるそうだ。ヒューザー小嶋社長は商人なので、 儲かる為にはなんだってするのは会社目的からしても合理的と いえるが、建築家としてそこで歯止めをかける習慣はまだまだ 残っているようで安堵の思いだ。姉歯建築士さんは遅咲きの 一級建築士だったので、甘ちゃんだったのかもしれない。 腕は良かったのかもしれないが。建築家は40で小僧、50で ようやく一人前というからそこで、プライドと倫理を持つ。  技術が高度化すればするほど、見えにくいものが増える一方で 不安も増大するが、我々が、朝起き、水道局の人を信頼しているから 顔を洗え、水を飲め、ガス局の人を信頼しているから、湯も沸かせ、 電車の運転士もしくは乗客を信頼しているからこそ、電車にも 乗れる。この当たり前のように見える一連の行動に関しても 結構人は信頼し合っているんですよ。もちろん電車に乗るにしても 変な奴がいて、死の危険があるかもしれない。それは危険をゼロに することはできないので、相当数大丈夫だと思う中で我々は 生活を生きている。信頼しててもそれは事故や又は故意的なものに よってリスクを負うこともあるかもしれない。 それでも危険と隣り合わせなのが生き物のあり方でしょう。 あまり右往左往せず、リスクは少なくしたいが、ゼロではないので、 その時はその時ぐらいのタフさはもっていて欲しいなと思うわけです。  ネットにおいてもリスクは一杯ですが、検索エンジンなどに 頼らずに、人と人とのコミュニケーションで培ってきたサイトに アクセスするなどして、リスクをできるだけ少なくするよう努力 するが、リスクはゼロではないことしっかり受け止めて、ネット という空間でもヘタレずに、タフにやっていって欲しいし、 自分もやっていきたいと思っています。

第三の道

 今年4月から施行される障害者自立支援法に見られるように、 新自由主義(ネオリベ)路線は着々と進みつつある。1980年代 のアメリカのレーガン、イギリスのサーチャーが行ったのが ネオリベ政策と言われている。いわゆる小さな政府にして、他は 市場原理に任せる政策。小さい政府になるので、中央集権的な 再配分制度をする必要が相対的に少なくなり、政府の財政難を 逃れられる。一方市場原理に晒された社会は経済的に強者と 弱者の格差は拡大となる。ここで、弱者とは経済的弱者はもとより、 シングルマザー、身体障害者、精神障害者等を差すとする。 弱者=必ずしも不幸だとは思っていないゆえ。  格差が拡大すれば凶悪犯罪が増え、社会は不安になり重罰化を 政府に求める。それでも不安な人々は高度監視下社会を望み、 まさに宮台氏の言う不安ベースの社会が訪れる。これが現在の アメリカ。アメリカはスウイングバックを何度もしてきた社会なので シフトチェンジはいつでもあり得るのが救いである。  一方イギリスは社会学者のアンソニー・ギデンスの主張している 第三の道を目指している。行き過ぎの社会主義的中央集権的な 再配分政策でもなく、ネオリベラルリズム(新自由主義)的な 小さな政府によって弱者への補助金等を切り捨てる政策でもなく、 新たな道。新たなといっても何十年も前にヨーロッパ(一部除く) はこの方向に舵を切っているが、必ずしも現在うまくいっていない部分も あり、試行錯誤の段階であるが、アメリカのようにネオコンまで 行きつかず、あくまで信頼ベースによる社会を望んでいる。 いわゆるコーポラティズムによるコミュニケーションによって 小さな単位で私的自治の原則によって社会を動かしていくスタイル。 また、完全に中央集権的な再配分制度を否定せず、弱者にはある程度は 手当てしていく。無料で教育が受けられる教育チケットの配布等もある。 結果の平等ではなく、いわゆる機会の平等ですね。  日本ではネオリベと言いつつも中央集権的な再配分制度は依然として 残っている。これは北海道、沖縄で自民党が大敗したことに見られる ように、再配分制度の必要性は都市部以外で強く感じているようだ。 都市部ではフリーターでも仕事があり、どうにかなるが、去年9月の 総選挙のに見られるように若い世代は危機意識を感じておらず、 初めて選挙に行ったギャル系が自民党に大量投票しただけで、 自民圧勝になっただけであり、全国的に得票率で見ると、 自民党と民主党ではあまり大差がないのが象徴的である。 逆を言えば今の小選挙区制度の元ではいつでも政権交代が可能という こと。ただこの選挙制度を変える動きも出てるので、ちと心配。 さて、弱者への補助のお金をどうするかですよね。 これは日本人の金持ちにはない意識が必要。ヨーロッパの貴族に 見られる蕩尽を美徳とするもの。あくまで無駄遣いをするのだが、 イギリスにあるゆりかごから墓場までという言葉もあるように、 貴族は遊びにも無駄遣いするが、弱者への寄付もリスペクトされる ために大金をはたいてする。日本の金持ちはその意識が少ない。 っというかまだどうしていいのか分からないのだろう。 会社の価値を高めるために寄付し、しかもリスペクトされるので、 後々になって、会社の目的さらなる利益につながるのだから、あるいは 人の場合その人がリスペクトされるのだから寄付すれば よいのにと思うのだが。貧乏人の戯言かな・・・・ヨーロッパの ようなコーポラティズム、分かりやすく言えば腐敗しやすいが 談合主義の利点も再考察せねばならない。値段は高いかも知れないが、 かつてあちこちにあった地元商店街的なコミュニケーションに基づく ものが日本ではコーポラティズムに当たる。お互いの店が支えあって いるんですね。コミュニケーションによってただでもらったりとか。 概論めいたものですみませんが、今後日本社会がどう舵を取るか まずは概略を書いてみました。乱文・悪筆失礼。
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Author:まさみ
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よろしくお願いします。
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