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小説「まぶた」

小川洋子さんの作品。
8つの作品の短編集になっています。
書店でなにげなく手にとって購入してみた小説なんですが、とても引き込まれました。
シュールレアリズムというんでしょうか。
ひとつひとつの物語は静かに淡々と、日常にひそんだ小さな非日常を切り取っています。
空虚な安らぎ、歪みや恐怖。
だけど決して不快ではなく、ふと意識を向ければいつでもそこにある。
そんな世界観です。
なんといっても言葉の表現が素敵。
芸術的な文章を書くかたですね。

収録作品
「飛行機で眠るのは難しい」
「中国野菜の育て方」
「まぶた」
「お料理教室」
「匂いの収集」
「バックストローク」
「詩人の卵巣」
「リンデンバウム通りの双子」


好みの作品に出会えたのは山田詠美さんの作品以来かも。
今は同じく小川洋子さんの短編集「刺繍する少女」を読んでいます☆
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都市

都市  1953年度国際幻想文学賞受賞、小説『都市』SF小説読んだ のは久々かつ傑作に巡り合えました。人間という種族は人間の 未成熟な文明、人間という種族のどこまでいっても間違いを 繰り返す、思想?哲学?それに諦念したのか?ほとんど全ての 人類が木星へ移住し、人間の形さらには心までも変化し、 アメーバーのような状態になってしまう。そう、高度の文明が 発達した都市では、都市がいらなくなっていた。人間は都市を離れ、 田舎の方へ、孤立して暮らすようになっていた。孤立したとはいえ、 ボタン1つ押せば、人と会話はできるのだが、何かそこに違和感を 覚えていたのか?木星に経つずっと以前に人間は犬族に高度技術を 駆使し、しゃべることができるようにし、犬族は人間よりもあらゆる 面で優れていた。殺戮など絶対しない犬族に多くの人間は地球を 明け渡した。  犬族の中では人間という種族は神話として語られる。 そんなのいるはずはないという神話説が有力で、人間が昔、 人間が現れる前、何か他の知的種族がいたのかもしれないという 寓話を面白おかしく、子供に話すような感覚だ。  最後の章で犬族が住む地球は蟻が創る建物によって地球が 多い尽くされようとした。だが、殺戮という概念が思い浮かばない 犬族はどこか他の大地か、この話では霊魂と呼んでいた世界に行く しかないと犬族は悩む。だが、人間がまだ地球にいた何万年も 昔に製造したロボット「ジェンキンズ」は語る。その解決方法は 人間がよく知っている。だが、ジェンキンズは、ただ単に殺せば いいだけだということを教えなかった。人間と同じ過ちを繰り返し たくはなかったからと。  あくまでSFですが、切ないですね。人間という存在も。 数万年経てば、人間はこの話の通り、いたかもしれない神話になる かもしれない。これは自分自身にも当てはまり、自分という存在も 数万年も経てば、語られる事もなく、いないものに等しくなる。 子供が子供だった頃、宇宙の果てはどうなっているのか?時間は いつ始まったのか?等々誰しも考えたものだ。 たまにそんな子供心出して、あ〜数万年後には自分の存在なんて なきに等しいのならば、なんだか楽になって、今を生きるを 大切にしたいななんて思います。ちょっと子供心丸出しの コラムでした。

寄生獣

寄生獣 (1)の画像
 17〜18歳頃に読んだ「寄生獣」
これは未だに理論的に説明できない
深い洞察を含んだ漫画であった。
人間(新一)の脳に寄生しようとした
寄生獣は失敗して右腕に寄生してしまった。
一方他の寄生獣達で人間の脳に寄生する事に成功した寄生獣は
生きるために人間を食べる。
新一に寄生したミギーは新一に、餌を食うのは当たり前ではないか?と
新一に冷たく問いただす。寄生獣は恐ろしいほどの殺戮能力を
持っているが、その人間が死んでしまえば自分も死んでしまう弱い存在とも
言える。餌として人間を食べる。確かに当たり前のことだ。

 だが、新一の目の前で母親のみならず、次々に殺戮事件が起こる中で
新一は人間の為に、ミギーとともに闘う。ミギーは何故闘うのかよく
分からないようであった。ミギーが寄生した新一は複雑な存在で、
ミギーの同種である寄生獣を殺すことさえも苦悩する。そして、愛するもの
が死んでも泣けない事に苦悩する。泣けない苦悩自分も陥った事があるので、
泣けない苦悩を見て思わず、自分は号泣してしまった。

 人間だって、毎日肉を食べるために大量に牛や豚を殺し、魚を食べるために
大量に魚を殺戮している。寄生獣が食べるために人間を食べるのも決して
おかしいことではない。
 
 おかしいと思うのは人間中心主義があるからである。人間とは?動物との
違いは?ラカンの言葉で言えば人間には象徴界を持っているからか?
だったら、ネアンデルタール人のような前頭葉は発達していないがイメージを
司る後頭葉が発達していた人種は人間なのか?動物なのか?
宇宙人がいるとしたら、彼は人間なのか?動物なのか?
どれもが生き物であることには変わりがない。自己の種族の保存を守る為に
生きているに過ぎない。そこはどの種族にも共通している。
その生き物の種類の中のたった一つの種類が人間に過ぎない。

 人間中心主義は特に宗教に現れているので、動物にもいくらかは配慮して
欲しい。自己の種族の保存しか考えないのが生き物の宿命なのだから
しかたないのだから。人間中心主義でなく、このばかでかい宇宙の中で
生き物同士を相対化して考えた方が自然だ。これは動物愛護主義などではない。
生きるために今後も他の種族を食べて自分も生きるであろう。

 親鸞のようにせめて死んだら河の中で魚の餌ぐらいにはなりたいと思うが、
そううまいこといかないね。猿の惑星の世界のように1度立場が逆転した
状態を想像し、人間中心主義から解き離れて見ることは視野を広げ、
良い効果をもたらすと思う。

 ミギーは人間の良い一面をこう言っていた。「心に暇のある動物なんと
すばらしいー!」っと。ありがとう。寄生獣ミギー。

考える力をつける本2

「考える力」をつける本〈2〉―「自分の考え」をどう深め、どう実践するかの画像  周りに合わせてばかりで、自分というものは自分だけの思考は持って いないのではないか?と思った時期がある。だが、よくよく考えて みれば、周りに合わすという事を考え決めたのは自分なのであって、 その点では自分で思考しているというアイロニカルな側面もある。  その一方、自分が自分の頭で思考し始めたと感じたのは19歳の時 にたまたま出会った本「考える力をつける本2」である。この本を読んで いかに自分が人に合わせて来たのか思い知らされたか今も記憶は新しい。  かといって思考というのは様々な人と出会い、影響し、形作られる ものであって、一概に人に合わせてばかりいるというのも決して無駄な 作業ではなかったように思える。  以前思考には基本が大事だと書いた。基本をそれが良い、悪いは別にして 人に合わせる事で学んできたのだ。今やその基本を逆手にとって、自分で ものを考えられるようになった。  自分で物を考えているようであって、人は某かの他者や自然界の 影響を受けて成り立っている。つきつめていけば自分とは無に過ぎない のではないか?ということになるが、それは極端過ぎるので、そのような 影響という不自由さを認識し、自由な思考をすることができる。 全て自由と感じていたら自由という概念すら思いもよらない。 不自由さを知ってこそ、自分の自由が分かる。  かなり抽象的で自分の実存に満ちたコラムになりましたが、自分の場合 基本を学ぶのが長すぎた。早く見積もって19歳まで遅く見積もって 26歳まで基本、基本。「考える力をつける本2」はまず、自分が別に 思考停止ではなかったのを気づかせてくれると同時に基本から応用へと 飛び立たせてくれる本であった。自分の実存で書いているので、 他の人には当てはまらないのであるが、書くということ、思考するということ はいくら客観的にしようと思っても自分の実存が入り混じるものである。 だが、そこに思考のダイナミズムがあり、ディスコミュニケーション化に ならない面白みがあるのである。
プロフィール

Author:まさみ
ブログはこちら一本でやっていくことにします。

パソコンできる環境が作れず、こちらのブログのほうがスマホでも扱いやすいからです☆

よろしくお願いします。
⊂⌒っ*-ω-)っ

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